医療専門職と男性文化

 火急を要する仕事が終わって、「未読山」の中から無造作に取り出した論文を読むという贅沢をした。19世紀フランス医学史で数々の傑作を書いているロバート・ナイの射程が広い鳥瞰的な論文。文献はNye, Robert A., “Medicine and Science as Masculine ‘Field of Honor’”, Osiris, 2nd ser., 12(1997), 60-79.

 古代・中世以来の、貴族と軍役奉仕をした騎士の行動基準であった「名誉」(honor) の精神が、社会の激変にもかかわらず、医学を含めて19世紀のブルジョワジーと専門職の行動基準として受け継がれたことを、この著者に典型的な明快さで論じている。特にドイツで激しかったらしいが、19世紀の医者たちは、学問的な意見の相違に端を発して決闘に及ぶこともあったという。(頬に古傷がある医者は勇気があるとして尊敬されたという・・・ブラックジャックの頬傷は、あれは何ですか?)決闘そのものが19世紀の末から20世紀の初頭にかけて消滅しても、決闘の背後にあった名誉を重んじる態度は残った。そして科学と医学研究の報告の真理性を担保するものとして、報告者が「自律」(independence)が可能な「紳士」であることを要求するという、17世紀の科学革命期に形成された理念も引き継がれた。これらは医者や科学者たちが「個人」として備えている美徳であり、専門家倫理は個人道徳に依存するものとされた。これらの理念は、医療専門家集団の内なる規範として働き、一方ではこの条件を満たしていないとされたものを排除・周縁化することにも使われた。それは女性であり、外国人の医者・科学者であった。女性を19世紀の高等教育や専門職から排除するレトリックとしては、身体化された議論(高等教育を受けると女性はヒステリーや不妊症になる)が名高いが、それ自体としては女性の排除を目的にはしていなかった「名誉の文化」も女性にとって大きな妨げになったという。

 真理性の担保の話を読んでいて、医学系研究者によるデータ捏造の大きなスキャンダルが韓国や日本で相次いでいるのを思い出した。何が科学報告の真理性を担保するのかというのは、科学史や科学社会学の伝統的・中心的な問題であり、分析の道具はいくらでもある問題である。そういうわけで、今年の科研費では、現在の話を歴史に絡めた科学史の研究助成の申請が殺到するだろう(笑)。