マキョウンのテーゼ・エンドゲーム編

 マキョウンのテーゼのエンドゲームが続いている。10年前の論文だが、マキョゥンの棺桶に釘を叩き込んで錠前を掛けた(笑)論文を読む。文献はJohansson, S. Ryan, “Food for Thought: Rhetoric and Reality in Modern Mortality History”, Historical Methods, 27(1994), 101-126. 

 シーラ・ヨハンソンは私が好きな人口史家である。シンプルだけどインパクトがある統計、シャープな説明、そして広い守備範囲から自在に繰り出される議論に特徴がある。人柄は陽気で包容力が大きい。日本の健康転換について一番いい論文を書いているのは彼女である。私のような年が行った初学者(笑)にも暖かいアドヴァイスを惜しまない。その彼女が、マキョゥンが間違っているという論旨から一歩進んで「マキョゥンのテーゼが人々を誤った方向に導いたのは何故か」という論文を書いた。

 このブログの昔からの読者は耳にたこができていると思うが、マキョゥンのテーゼというのはバーミンガム大学の社会医学の教授だったマキョゥンが、1960年代に論文で発表し、1972年の Modern Rise of Population で書物の形でまとめたものである。それは、19世紀のイギリスの死亡統計の分析に基づいて、「死亡率の低下をもたらしたのは栄養状態の改善であって、医療も公衆衛生も死亡率の低下には貢献しなかった」という人々を驚かせる内容のものだった。このテーゼは、今考えると驚くほど貧弱な証拠にしか基づいておらず、議論の仕方もエキセントリックとしか言いようがないものだが、それが幸いしたのか、歴史家や経済学者、特に開発経済学者や政策学者たちに受け入れられ、「健康改善の鍵は栄養状態が握っている」という政策に翻訳された。

 そのメカニズムを、ヨハンソンは「レトリックの勝利」「聞き手が信じたいことを分節化して述べたから」として、巨大な勘違いの原因を分析している。右も左も経済発展の万能を信じる風潮に支えられたということだろう。それにもかかわらず、マキョゥンが偉大な貢献をしたのは言うまでもない。死亡率を死因別にブレイクして、Aの死因は下がっているのにBの死因が下がっていないということは、この時代の人々のヘルス・ステイタスのヴァルネラビリティは、かくかくの構造になっていたのだ、という議論が可能なことを、最も鮮やかな形で示したのは、私が知る限りではマキョウンだと思う。きっと彼にも先駆者がいるのだろうけれども。