ペスト対策とアパルトヘイトの起源

 南アフリカにおけるペストの隔離政策とアパルトヘイトの密接な関係を論じた論文を読む。文献はSwanson, Maynard W., “The Sanitation Syndrome: Bubonic Plague an durban native Policy in the Cape Colony”, Journal of African History, 18(1977), 287-410.

 感染症対策としての隔離と、人種差別・隔離との間にどのような関係があるかという問題は、植民地医学の一つのポイントである。このブログでもその問題を扱った論文を何度か紹介している。1977年前に出版されたこの論文は、この問題に関する初期の優れた成果なのだろう。ヒストリオグラフィとしてはかなり古いが(これについては後述する)、鋭い分析は今でも読み応えがある。

 議論のコアは、ケープタウンなどの植民都市の白人が、新たに流入してきたアフリカ人などの有色人種を産業労働力として確保すると同時に、彼らが住みついた都市の内部や周辺のスラムを感染症の巣窟として嫌悪・恐怖する感情の板ばさみを、公衆衛生政策によって解決しようとした背景とメカニズムの検討である。両者の矛盾は19世紀の後半から顕在化しつつあったが、1900-1904年のペストは、不潔なスラムの恐怖を具現化すると同時に、そこの住民をまとめて俄か造りのバラックに移住させることで、矛盾を「解決」するあり方を示唆してしまったという。

 この話を聞いて私たちの多くはフーコーを連想する。『狂気の歴史』とか『監獄の誕生』とか。しかし今から30年前は、このタイプの分析のインスピレーションは、むしろフロイトだった。白人の資本家たちが持った「メタファー」「イマジェリー」というやや曖昧な概念が使われている。、方法論的な著作としては、1957年のアメリカ歴史学会の会長講演が引用されている。私はこの講演を知らなかったが、その内容は心理学の成果を歴史に応用し、流行病が社会に与えたトラウマを分析するように提案したものだという。(この講演を読まなくては!)マルクシズムの構造分析にフロイトの心理機構の概念を継ぎ合わせたのが、この論文の理論的道具立てになっている。