古典古代の養生論

 エーデルシュタインの古典古代の養生論の論文を読む。当該論文が含まれている文献は、Edelstein, Ludwig, Ancient Medicine, edited by Owsei Temkin and C. Lilian Temkin, translated from the German by C. Lilian Temkin (Baltimore: The Johns Hopkins University Press, 1967 & 1987).

 エーデルシュタインはドイツからアメリカに渡った初期医学史の巨匠の一人。前後にはジゲリスト、テムキン、アッカークネヒトといった錚々たる医学史の父たちがいる。古典古代の専門家を除いて、450ページもある分厚い彼の論文集を全て丁寧に読んだ医学史家は少ないだろうけど、(笑)、この本を書棚に並べることには私の業界の人間にとって象徴的な意味がある。

 この論文は、エーデルシュタイン(以下E)の書いたものの中でも特に私が好きなもののひとつ。古典古代の養生法から深い洞察を引き出した傑作である。E によれは、養生法は紀元前5世紀にギリシアに現れる。「病気になったら薬を飲む」という、それまで支配的であった治療に替わって、古典医学の中枢に養生法が位置するようになる。その背景として、E はギリシア社会の構造とその変化を想定している。養生法というのは、誰でもできる治療法ではない。決まった時間に起きて運動して香油を塗って入浴して一日を過ごすことができる人間は、ありていに言って「ひま」がある人間である。何かの仕事に携わっているのではなく、健康管理のために生きることができる富裕な有閑人が、養生法が前提にする患者である。言葉を換えると、養生法は「自由な」人間のための治療法なのである。時代がローマ時代になり、肉体労働に携わるわけではないが「活動的な」生活を送っている人物(政治家、官僚、詩人、学者など)が増えて、彼らのために養生法を処方しなければならないときには、<健康のためだけに生きること>を要求するようなかつての養生法から、ゆとりを持たせたものに変わっていく。

 養生法は自由で富裕な人間を相手にしたものであること、そしてその中でも産業構造によって新しいクライアントが現れて医学にとって重要になってくると、養生法の中身やトーンが変わってくること。この議論の基本にあるのはマルクシズムの考え方だけれども、とても魅力的な議論である。同じ養生法でも、先日取り上げたクックが医者のアイデンティティに着目したのに対して、Eの議論は患者の側を重視した方向の考え方である。

 もう一つ見落としてはならないのは、ここで養生法という規律に従うものは、もちろん医師による生活の「支配」を受けるわけだけれども、もともとは社会の上層富裕の「自由な」個人であったということである。フーコーが『性の歴史』2・3巻で、たぶんこの問題にからんだことを論じているのだろう。いま、明治期のコレラの養生法についての論文を大急ぎで書いているが、この問題を考えてみないと。