必要があって、オーストラリアの精神医療の歴史の論文集に目を通していたら、シンプルだけど重要な論文があった。文献は、Finnane, Mark, “From Dangerous Lunatic to Human Rights?: the Law and Mental Illness in Australian History”, in Catharine Colborne and Dolly MacKinnon eds., ‘Madness’ in Australia: Histories, Heritage and the Asylum (St Lucia: the University of Queensland Press, 2003), 23-33.
著者の マーク・フィネインは19世紀アイルランドの精神医療の研究などで知られた実力者。しばらく前にオーストラリアに移って、同国の活発な医学史研究の興隆を支えている。オーストラリアの精神医療行政の歴史を、三つの時期に分けている。禁治産処分と犯罪者の精神鑑定の前史を経て、まず最初は19世紀の「危険な精神病患者」の時代。この時代には、その「危険さ」ゆえに、精神病院への収容と監置の対象としての精神病患者というカテゴリーを作り出した。その次が20世紀前半の「優生学と福祉」の時代。この時期には、精神病患者の物理的な危険さではなく、社会的・生物的なコストが問題になる。国家の人口のパフォーマンスの枠組みの中に精神医療が位置づけられた時期である。そして20世紀後半の「人権とエンタイトルメント」の時代でに続く。フィネインはそれぞれを「時代」と読んでいるが、これは次の「時代」になると消えていってしまうものではないので、堆積していくパラダイムの重層のように捉えたほうがいい。
日本の精神医療の歴史の問題を考え始めて5年ほどになるが、これほど目の前の霧がすうっと晴れるような思いをした切り口の図式を読んだのは初めてである。そのままあてはめて使えるという意味ではなくて、考え始める取り掛かりになるという意味だけれども。