兵頭晶子「『双葉病院事件』をめぐって」

兵頭晶子「『双葉病院事件』をめぐって」『情況』2011年、6・7月合併号、152-156.

著者から論文をいただいた。福島第一原発の事故にまつわる精神科病院における患者の死亡問題に触れた短い記事である。福島第一原発と同じ大熊町に位置する精神科病院である双葉病院は、地震と原発での事故にともなって患者を移動させた。3月12日には大熊町役場から派遣されたバスで209人の患者を避難させ別の病院に無事転院させたが、それ以降(おそらく原発での爆発の後の)、14日以降に開始された自衛隊による搬送には病院職員の付き添いがなく、15日のある時間帯には98名の高齢重症患者が現地に置き去りにされた状態になった。この中には、一日の全栄養を輸液で補給されていた人々もおり、結局、搬送の途中・搬送後に21人が死亡するという事態が引き起こされた。

この「双葉病院事件」を歴史的に位置づけようと試みたのがこの論考である。著者が言っていることは二点であり、一つは、福島が東京などに電力を供給するための原発の立地だったことが象徴する高度に発展した地域と、そこに資源を供給する禎発展の地域の二つが分かれる格差状態である。兵頭はこれを表日本―裏日本の問題と重ね合わせている。もう一つは、近現代日本で形成された精神病者の隔離の問題であり、1900年の精神病者監護法にはじまり、兵頭によれば、2005年の心神喪失者等医療観察法にも連続している、精神病者の犯罪の危険に怯えて自分たちから遠ざける力の形成である。

この著者は私たちにとっての必読書である『精神病の日本近代』を出版した才能がある研究者であり、彼女が新たに取り組むことになった双葉病院事件の問題に歴史的位置づけは大きな期待を持てる。地域の格差、隔離の危険も重要な問題であるが、より直接的なヒントになるのは、隔離の問題そのものではなく、隔離下において造られる特殊な生命環境の問題だと思う。精神病院の患者は、依存の度合いが非常に高く、自分ではなく他人や介護者によって生きることが初めて可能になる環境であった。すぐに思い浮かぶのは、第二次世界大戦の末期と終戦における精神病院における患者の大量死の問題であり、戦前の精神病院の火災における患者の死亡の問題である。この論文はまだ速報的な性格だが、この著者の仕事であれば、注目するべき論点となる重要な仕事になると今から期待している。