ルネッサンスの解剖実習と講義

ファブリチウス(Girolama Fabrizi da Auapendent, 1533-1619)を中心にしたパドヴァの解剖学の実習と講義のレトリックを分析した論文を読む。文献はKelisinec, Cynthia, “A History of Anatomy Theaters in Sixteenth-Century Padua”, Journal of the History of Medicine and Allied Sciences, 59(2004), 375-412.

 パドヴァの解剖学教育には二種類のスタイルがあったという。一つは有名なヴェサリウスの影響を受けたスタイルで、もう一つはその後継者のファブリチウスが発展させたスタイルである。ヴェサリウスは人体全体をカヴァーする構造解剖学を教え、実際に解剖する技量を学生に伝えることを重んじた。ヴェサリウスの解剖学は人文主義的な性格が強かったが、マニュアルな技量の強調も彼の特徴であった。犬を生体解剖してその心臓の運動と動脈の拍動について教えていたときに、学生に質問されたヴェサリウスは「私の意見を言ってしまおうとは思わない。自分の手で[犬に]触れて感じてみなさい。そして、その手を信じなさい」と告げたと伝えられている。このスタイルの、学生が参加し、自分の手を使って実地に学ぶことができる解剖実習は人気があった。北ヨーロッパの学生もアルプスを越えてパドゥアに向かった。

 ファブリチウスの解剖学はより理論的であった。人体全体の構造解剖学ではなく、感覚器官や生殖器官などの部分を取り出しては、その機能についての自然哲学的な考察を述べた。アリストテレスの自然哲学の流儀で解剖学を行っていた彼にとっては、人体の構造を知ること自体は解剖学の究極の目的ではなかった。それぞれの人体部分がどんな機能を担っているのか、そして究極的には<なぜ>そうなっているのかという自然の神秘への哲学的な考察が解剖の目的であった。ファブリチウスの解剖実習は深遠な自然の神秘へと思索を誘う理論的な営みであった。いきおい彼の講義と実習は手を使うというより頭を使うものになり、学生が手を使って構造を実地に明らかにしていく部分はおろそかにされがちになった。期待していたものを教えてもらえない医学生たちはファブリチウスの授業が不満であった。ヴェサリウスの流れを汲む教師が、実地と構造に重きをおいた私的な実習授業を運営していて、こちらの授業のほうが圧倒的に人気があったことも、ファブリチウスのスタイルの「欠点」を際立たせた。

 ファブリチウスを救ったのは、1595年に建設された新しい解剖学教室であった。その教室はまさに「劇場」というにふさわしい豪奢な建築様式を持っていた。死体を解剖する作業自体は別室で行われ、既に解剖が済んだ死体が円形のホールの中央に置かれ、それについての格調高い解説が朗々と読み上げられた。医学部や他の学部の教授たちにとどまらず、市の有力者たちや政治家、聖職者たちが入場して着席すると、最後にファブリチウスが死体と共に登場するという演出が凝らされていた。解剖の講義の間には楽隊が荘厳な音楽を演奏していた。この解剖講義は、ファブリチウスのスタイルの欠点を補って余りある「威厳」を解剖学に与えてくれた。ファブリチウスの解剖講義は、公式な祝祭性と劇場性をもち、教師が主役になって、自然哲学的な思索を語るとすれば、ヴェサリウスの解剖の授業は、私的な率直さと「手で触れる」直接性を持ち、学生が参加する実践的なものであった。