『すばらしき新世界』

 授業の準備でハックスリー『すばらしき新世界』を読む。読んだような気がしていたけど、実は読むのは初めてである。松村達雄訳の講談社文庫で読んだ。

 ハックスリーの『すばらしき新世界』は、進んだ科学技術によって人間の身体と精神を操作することが可能になった「文明」社会に、非文明の保存地区から「未開人」がやってくるという話である。科学技術の進歩に対する幻滅と危機感が激しかったいわゆる戦間期に書かれた作品で、科学技術を批判したディストピアものの傑作。ハックスリーの『すばらしき新世界』は、例えばオーウェルの『1984年』に較べて手が込んだディストピアで、少し説明しにくい。この未来社会で操作されているものは沢山あるけれども主なものは二つ、生殖と感覚である。生殖はまさに人間の再生産となり、受精卵はアルファからイプシロンまで存在する階級ごとに異なった操作をされ、特に下層階級にそれからは一律に大量の人間が生産されて効率が高められている。快感は善とされている。厳重に避妊され、情念を感じることなく快感だけを得ることができるフリーセックス、触覚を得ることができる映画、ネガティヴな感情を忘れることができる薬「ソーマ」など、幸福感を得ることができるあらゆる設備が整えらられ分配されている。もう一つ、物語の中ではややマイナーな仕掛けだけど面白かったのが歴史の問題。歴史の記録は抹殺されたし、だいたい人々は過去の野蛮なことに興味はない。これまでの中では現在が最高であり、そして科学は進歩せずに(シアリアスな科学研究は危険だからといって禁止されている)、技術改良だけが進んでいく未来が最善だと信じている。ついでにいうと、技術は社会を安定させ、科学は危険だという二分法が、ハックスリーが両者の違いを信じていて面白いところである。