アヴェロンの野生児

 必要があって『アヴェロンの野生児』を読む。文献はイタール『アヴェロンの野生児』古武弥正訳(東京:福村出版、1975)

 18世紀末にフランスのアヴェロン郡の森で発見されてパリに連れてこられた「野生児」は大センセーションを巻き起こした。いわゆる「アヴェロンの野生児」である。彼は「ヴィクトール」と名づけられ、彼に「教育」をほどこすことはできるのか、できるとしたら何を教えられるのかという問いは、まさに啓蒙主義の「人間の科学」を象徴する問題であった。彼の教育に携わった医師J.M.G. イタール(jean Marc Gaspard Itard, 1774-1838) が書いた報告書「アヴェロンの野生児」は心理学や障害学の古典になっている。

 言語の習得や共感する能力の取得などに較べたら有名ではないが、ヴィクトールの「性」の問題もイタールの報告では重要なポイントだった。彼がパリに連れてこられたのは12歳、じきに「性に目覚める」年齢である。ヴィクトールの感覚、特に触覚が未発達であると考えたイタールは、彼を熱い風呂に入れて皮膚を柔らかくし、乾布摩擦をして腰をくすぐって感覚を鋭敏にしようとしていたときに、彼が「快感を表現するしぐさ」をして、彼の「生殖器に影響が現れた」のを観察する。おそらくペニスが勃起したのであろう。ヴィクトールが「堕落する」ことを恐れたイタールはこの治療を中断するが、ヴィクトールの性の目覚めが彼の精神にどのような影響を与えるかを期待して見守る。文脈から推測すると、ある女性に「愛情」を感じることで、自閉的なヴィクトールの精神世界が変革されることを期待したのだろう。そして、数年後にヴィクトールの身体には第二次性徴が現れ、それにともなって彼の精神にも変化が観察される。ヴィクトールは女性のそばにいることを好み、彼女たちに触れ、自分の頬にキスしてくれることをねだる。彼が女性に親密さを示すときには、彼の脈拍は速く、顔面は痙攣し、鼻血を出すこともあった。しかしヴィクトールにとってこれらの感情は、結局彼を不安にし苦しめただけであった。時として彼がなついていた女教師を引っかいたり噛み付いたりした。鼻血が多い時には次の「苦悶」までの期間が長いことを観察したイタールは、瀉血によってヴィクトールの欲望を鎮めたが、長続きはしない。ヴィクトールの性の苦悶-少なくともイタールはそう考えた-は彼の教育を妨げるようになった。この状態に直面してイタールはヴィクトールにどうやってこの欲望を充足するか、平たく言うと「女を教える」べきかどうか迷う。(ここで自慰を教えようとしたとも考えられなくもないけれども、私はそれはありえないと思うのですが・・・ご存知の方は教えてください。)しかしイタールは、ヴィクトールの性欲の充足を教えると、彼が不品行に導かれることを恐れ、結局ヴィクトールに性欲を充足させる方法は教えないまま、報告書を書き上げた。