尾崎紅葉『青葡萄』とコレラ

尾崎紅葉『紅葉全集 第六巻 多情多恨・青葡萄』(東京:岩波書店、1993)
必要があって、尾崎紅葉の『青葡萄』を読む。明治のコレラ流行について色々なことを教えてくれる古典的な小説である。

この作品は、明治28(1895)年の9月から11月にかけて「読売新聞」に連載されたものである。もともとの構想では、これは「前編」であり、これに続いて「後編」が書かれる予定であったが、結局書かれぬままに終わった。「青葡萄」というのも、現存の作品だけを読むと何のことやらわからないが、紅葉の説明によると、庭先にあった青葡萄を食べてコレラになったという内容を後編に書く予定だったとのこと。

授業で教材に使うとしたら(笑)、読み取らせなければならない重要なポイントは少なくとも四つ。一つは、コレラ患者の発生は私的な領域の境界を侵すということである。侵犯するのは、隣人でもあることもあるし、警察であることもある。患者が吐瀉する音が高く響くから、向かいの家の人がそれを聞きつけて密告しないだろうかと心配する部分は、迫真性をもって描かれている。警察から家にきた巡査への怒りと憤りと卑屈も描かれている。コレラ患者を出すことが「犯罪の匂いがする現象」になったことを察することができる。

二つ目は、医師が置かれた当局と患者とのあいだのディレンマである。医師との関係が、ただの医者と病家との関係でなく、私交の関係を含むときに、医師は警察と患家の間に板挟みになって苦しむこととなる。警察はコレラの疑いがある患者を発見したら即刻届けるように医者に命じている。患者を隠ぺいした場合には60円の罰金であると言わしめているし、刑事巡査が医者を尾行しているケースもあると書かれている。しかし、コレラ患者と家族にとっては、その疑いだけで届けられて避病院に連れて行かれるのはあまりにも薄情である。

三つ目は、このディレンマにおかれた医者にとって、少しでも助けになるのが、もう一人の医者を連れてくるということであったということである。この作品でも、もともと友人であった医師Kは、板挟みになって別の医師 M の立ち合いを仰いで、結局はMの勧めもあって、検疫医を呼ぶことになる。この検疫医というのが、尊大・傲慢・不親切・役所的で人民を見下す人物を想定した語り手の想像とは違って、篤実で温厚で敬愛するべき君子風の老人医であった。この検疫医も、結局は、避病院にやるのがいいという。ここで登場する検疫医は、もとは漢方医なのではないかと思うくらいの年齢で、臨床的な観察に基づいて避病院送りを勧めるが、ここには細菌学的な診断も何もないということは象徴的である。

四つ目は、避病院における自費診療の問題である。語り手はさんざん悩んだ末に、患者を避病院に送ることを決意する。この決断から罪の意識を少しでも取り去っているのが、「自費療養」というセクションである。そこでは、取扱いもよく、看護も十分であるし、別に看護婦を雇って世話をするために送り込むことができる。「釣台」という籠で運ばれるのだが、警察が、自費療養だから取扱いに注意するように、あまり揺れないようにかつげと命じているところを見ると、釣台での輸送の仕方にも格差があったらしい。つまり、自費診療とすることができる比較的富裕な人々に対しては、避病院への収容という政策を受け入れやすくする特殊な措置ができていたのである。

岩波書店から出ている全集なのだから、モデルは誰であるとか、アカデミックでスカラリーな解説がついていると思いこんでいたら、注はテキスト上の異同についての簡単なもので、私が期待したような解説はまったくなかった。多くの言葉について現代語訳が必要であるし、「摂児的児水」(セルテル水)というのも、自分で調べなければならない。(ネット上で調べたら、もともとは、プロイセンのセルテルに産する鉱水のことで、それから炭酸水の意味となるという説明があった)「解説」と称するものはあるが、解説というよりも、丸谷才一が『多情多恨』を肴にして気持ちよく文芸批評をしているもので、月報にふさわしい内容のものだった。