人肉食が梅毒を生んだ

 未読山の中から、16世紀の梅毒の起源に関する一説を分析した論文を読む。文献はEamon, William, “Cannibalism and Contagion: Framing Syphilis in Counter-Reformation Italy”, Early Science and Medicine, 3(1998), 1-31.

 しばらく前に取り上げたイタリアの遍歴異端医、レオナルド・フィオラヴァンティは、梅毒の起源についてもエキセントリックな説を出している。その真実の起源がどうであれ、梅毒が最初にヨーロッパで注目を引いたのは、1494-5年にナポリを包囲したフランス王の軍隊における流行であった。このときに梅毒が発生したメカニズムをフィオラヴァンティは、そこで人肉食が行われたからであると主張する。ナポリを攻囲する大軍に通常の食料を供給することができず、食料屋がひそかに戦場の死体の肉を混ぜて売っていたからであるというのだ。他の戦争のときにも似たような事件がおき、小規模だが梅毒のような病気が起きていたという「証拠」をつかんだフィオラヴァンティは、その説を確かめるために実験を行う。子豚の餌に豚の脂を混ぜて食べさせると数日のうちに子豚には毛が抜け、体には潰瘍ができた。子犬で同様の実験を行っても、タカで行っても、どちらも梅毒の症状が現れた。これらの証拠に基づいてFは自信をもって、当時ヨーロッパで流行していた人間の梅毒は人肉食によるものであると断定する。

 この論文は、Fのこの立論を、当時の医学言説の状況に関係付ける。当時のヨーロッパで人肉食は大きな関心を引いていた。人肉食の結果、悪い病気にかかったという報告は数多くされていた。それだけでなく、当時「発見」されてヨーロッパを興奮させていた新大陸は人肉食のメッカであると喧伝されていた。その多くは事実を歪曲・誇張したものであり、純粋なでっち上げも数多くあったが、人肉食は「他者」の呪われた営みの最たるものであった。人肉食を行ったものの身体の奥深くにタブーを犯したことによる「穢れ」が食い込むと理解された。そして、この体内の穢れを取り除くには、強力な下剤や吐しゃ剤で体を「浄める」ことが必要だとFは考えていた。この「穢れと浄化」の病因-治療モデルは、当時の社会的な想像力と呼応していた。カトリックであったFから見たときに、宗教改革が広まる当時のヨーロッパは、悪魔と結んだ邪悪な異端に深く広く侵されていた。それを「浄める」ための悪魔祓いと彼の強力な下剤は共通のメタファーを持っていた。この身体とボディ・ポリティックの双方の「穢れと浄化」のモデルが、Fの、当時の基準で見てもエキセントリックな梅毒起源論の根底にあったのである。

 メアリー・ダグラスの『汚穢と禁忌』を応用するお手本のような論文。使っている概念装置は古典的だが、私は面白く読んだ。