医療警察と公衆衛生

 公衆衛生の歴史で過去50年にわたって使われてきた大きな枠組みを再検討する論文を読む。 文献は、Carroll, Patrick E., “Medical Police and the History of Public Health”, Medical History, 48(2002), 461-494.

 公衆衛生の歴史の新しい枠組みを模索する作業が、過去10年ほどの間に急速に進んでいる。アッカークネヒトやローゼンといった医学史家の1950年代の仕事は、強権的な国家の強制力によって個人の自由を制限する「医療警察」(medical police) 型の政策と、リベラルな国家が個人や地方自治体の自発性に任せて行う公衆衛生 (public health) 型の政策の二つを対比的に捉える枠組みを使っていた。この枠組みは、冷戦のイデオロギー対立の時代において、歴史家や公衆衛生の政策担当者に支持されたが、冷戦の終わりとともに求心力を失ってきたのだろう。近頃では、ボールドウィンやドロシー・ポーターの大作に見られるように、この枠組みでは不十分だという合意が歴史家の間で形成されている。

 この論文も、ボールドウィンらの一連の流れと同じ方向を目指したもの。議論のコアは、実際に行われた衛生政策と、その政策をどう表現するかというレトリックとを区別して考えたときに、医療警察から公衆衛生という変化は、現実の変化に対応しているというより、政策を表象するイディオムの変化だと考えたほうがいい、というものである。これは非常に野心的な説で、気が遠くなるような数の論点を再解釈しなければならず、一本の論文でできる仕事ではない。この論文では、本格的な衛生政策が実施される以前の18・19世紀に焦点を当てて、政策の表現法を検討している。私は全面的に説得されたわけではないが、何度でも丁寧に読み返さなければならない論文であることは間違いない。