近世イギリスの産科学

未読山の中から、近世イギリスの一般向け産科学書を分析した論文を読む。文献はFissell, Mary, “Gender and Generation: Representing Reproduction in Early Modern England”, Gender & History, 7(1995), 433-456. この著者は緻密な実証に基づいてシャープでクリアな議論を立てる論客で、彼女が書いたものが目に留まったときには、だいたい読むことにしている。

 16・17世紀、特に17世紀には一般向けの医学書が爆発的に出版された。その中には産科学の書物も含まれていて、生殖器の説明、性交と妊娠のメカニズムの説明、胎児の発生と出産のメカニズムなどが説明されている。もとはと言えば、子供が欲しい夫婦や、副業として産婆をしていた女性などが読むために書かれたものだけれども、本棚にあったこの手の本を盗み呼んではマスターベーションをしたことを自伝に書いている18世紀の男もいたくらいで(笑)、色々な用途に使われていた。

 フィセルの議論のコアは、17世紀の後半に産科書が用いている比喩が変わってきたというものである。例えば、それまで女性が体の中で行う神秘的な生成であった胎児の成長が、農業や手工業の比喩で語られる人為の過程になったこと。それに伴って、女性の体が男性の視点から再解釈されて、例えば膣は、「男性を受け入れるための器官」と特徴付けられるようになる。このように、女性の体が、農業や手工業で作物・果実・製品を生産するように、男性を受け入れて子供を作る受身の組織として語られるようになったのは、革命期に社会秩序に挑戦した女性に対する「バックラッシュ」であるという。自律性を持たず、男性の意図を実現する、いわば「生む機械」としての女性の身体の理解は、その一方で、女性の産婆術著者を分析するときには、17世紀後半の受動的な女性の生殖機能に関する言語を用いて、それに違う意味合いを持たせることが可能であったことなども触れられている。特に後者の洞察は、フィセルの腕が冴えていた。