ロシアの戦争神経症

同じく新着雑誌から。日露戦争第一次世界大戦におけるロシアの戦争神経症についての論文を読む。文献はPhillips, Laura, “Gendered Dis/ability: Perspectives from the
Treatment of Psychiatric Casualties in Russia’s Early Twentieth-Century Wars”, Social History of Medicine, 20(2007), 333-350.

 PTSDという「病気」が脚光を浴びるのにともなって、その歴史を探る研究が蓄積されてきた。特に第一次世界大戦におけるイギリス、フランス、ドイツの将兵たちが、塹壕戦の苛酷な状況で発症した「シェルショック」の研究は、すぐれたフィクションの主題になったことなどもあって、ひとつの小産業というほど研究が充実している。その中で研究の視点の重心は「男らしさ」の問題にある。愛国心に満ちているはずの勇敢な志願兵たちや、男らしさの象徴であるはずの将校たちが、恐怖にとらわれ、あるいは茫然自失状態で何の行動もできず、あるいはヒステリックに泣き叫ぶ姿は、西洋文化の基本的な枠組みの一つであった「男らしさ」と「アクション」を強く結びつけて理解する視点を根底からゆるがすものであった。おりしもフェミニズムのうねりの中で女性参政権が実現し、女性の職場進出が進行している時期であった。

 この論文は、私が知る限りでは最初の、ロシアの戦争神経症の歴史研究。ロシアで戦争神経症が最初に取り上げられるのは日露戦争のときで、これは第一次世界大戦よりも早い。(同様に日本の精神医学においても、私の記憶違いでなければ、日露戦争のときに最初の戦争神経症の記述があった。記憶違いなら、どなたか訂正してください。)それよりも重要なことは、ロシアの医者たちによる戦争神経症の記述には、英仏独のそれよりは戦争神経症による障害を「男らしさ」の喪失に結びつける態度が希薄であることである。戦争神経症を男らしさが失われた/持っていない証であると、ひとしなみにみなすことをせずに、さまざまな症状に応じて異なった意味づけがされていたという。

 野心的で議論をスパークしそうなのが、この理由として著者があげている二つの要因である。一つは、その戦争に対して医者たちがどのようなスタンスを取っていたか、ということである。愛国的好戦気分が高揚した日本にとっての日露戦争、イギリスにとっての第一次世界大戦などと対照的に、どちらの戦争も、ロシアの国民に非常に人気がない戦争であった。ロシアの戦争神経症を患った将兵たちを診療した医者たちは、患者の徳の欠如を責めるというより、不自然なのは戦争であって、その戦争の戦場で神経症になることは当然の反応だとすら考えていた。もう一つは、ロシアにおける精神病患者に対するトレランスの問題である。ロシアでは監禁型の精神病院は少なく、人々は精神病をスティグマを貼り付ける態度を持っていなかった。戦場で精神病/神経症のような行動を取ったからといって、それは規範からの重要な逸脱ではなかったというのだ。

 正しいかどうか知らないが、こういう視点を知っておくと、自分の研究のときに考える手がかりが一つ増える。戦争がどの程度「正当な」ものだと考えられていたかが、診断や病因論に影響を与えたという説明は、とても面白い、大きな可能性があるような気がする。でも、もう一つのトレランス云々の話は、う~~ん、なんといえば良いのかな・・・トレランスの問題をまともにリサーチしようとした経験がある学者の発想のように聞こえない、とでもいえば良いのかな・・・