この間も取り上げたカンポレージの、肉体の歴史民俗学の書物を読む。文献は、Camporesi, Piero, The Incorruptible Flesh: Bodily Mutation and Mortification in Religion and Folklore, translated by Tania Croft-Murray, Latin texts translated by Helen Elsom (Cambridge: Cambridge University Press, 1988).
カンポレージの別の本をこの間読んで記事にしたところ、(幻想のパンと人工天国のサラダ)、ひとみどんさんに傑作ボタンを押していただいた。600以上の記事を書いてきた中で、記憶にある限りでは初めてだったので、感激して、柳の下のドジョウということで(笑)
この書物はバロック期のイタリアにおける宗教と身体、食覚、味覚、嗅覚などの話題を取り上げている。良く知られているように、中世から初期近世にかけて、主にカトリック諸国で、生前に尊敬されていた僧や修道女が死ぬと、その身体や内蔵を保存して崇拝の対象とすることが行われていた。この過程はエンバーミングと呼ばれ、身体を切り開いて内臓を取り出して、ハーブや香料を詰めるものだったらしい。(作業の細部はあまり詳細には書いていない) 肉に香りをつける作業によって腐敗を防いで保存することは、例えばイタリア名物のハムと同じ原理である。(先日取り上げたベーリングは、細菌の繁殖を防ぐ消毒をハムの燻製にたとえている)芳香によって死や病と闘うことは、中世から近代のペスト流行時の消毒的な燻浄とも通じる。
なぜ、芳香には、死や病気や腐敗、一般的には「時の経過」に抗する力があると考えられたのだろうか?カンポレージは、例のごとく(笑)、分析や論理的な推論といった通常の形式で答えてはくれないが、敢えて図式的に翻訳すると、<天国と地獄の対比>の中で、双方に<肉体>があると考えられていたことが鍵になる。
苦痛、悪臭、不味い食事などの、感覚へのネガティヴな刺激に満ちた現世と対比的に、天国と聖なるものを描く思考形式の産物だと考えている。天国は、苦痛に対する悦楽、騒音に対する音楽、悪臭に対する芳香に満ちた場所だと想像された。言葉を換えると、天国と死後の世界は、目に美しい風景、耳に快い音楽、そして芳香などの「肉の悦び」に満ちた場所なのである。天国が天国たる所以は、肉体がないと享受できないものなのだ。
すなわち、天国にあるのは、デカルトの霊魂のような肉体と切り離されて思惟することしかしない存在ではなく、霊であると同時に肉の悦びを味わう、二つのカテゴリーにまたがった存在なのである。カンポレージのたとえを借りると、天国の肉体は<肉の悦びに打ち震えてオーガズムに達する肉体>なのである。 言葉を換えると、肉体が天国に達するためには、肉の悦びが必要なのだ。 だから、不死は、むせかえるような芳香によって表現されるという。
不死を表現するような強烈な芳香というのは、たぶん、ダマスクローズのようなバロック風の濃厚な匂いを考えればいいのだろうな。 私が好きな、ティーローズのさわやかで清楚な香りは、何を表現するのか分らないが、少なくとも不死を表現しないような気がする。