ブラジルのエイズ

未読山の中から、90年代初頭のブラジルとキューバのエイズ流行を分析したものを読む。文献は、Scheper-Hughes, Nancy, “An Essay: AIDS and the Social Body”, Social Science and Medicine, 39(1994), 991-1003.

 90年代当時のブラジルのエイズ対策を痛烈に批判し、キューバのそれに疑義を唱えたたもので、学術誌に掲載されてはいるが、論文というより評論。人権と公衆衛生の問題を深いところで捉える批判で、中南米のエイズの問題を超えて、歴史を考えるときにもヒントになりそうな気がする。 ブラジルに関する議論が面白いので、こちらだけまとめる。 

 筆者はブラジルのエイズ対策を厳しく批判する。その根源は、ブラジルの実情に会わない予防のモデルが、北米のエイズ対策を通じて作られて硬直化したからである。北米のゲイの間で後にエイズと呼ばれることになる病気が流行するとすぐに、これはゲイの人権の危機であると認識された。病気の実態が分る以前に既に、エイズはゲイの人権問題であった。そのため、北米のエイズ対策は人権尊重を中心に組み立てられ、性交に際してコンドームを装着するような教育だけに特化している。検査の義務付け、コンタクト=トレーシングなどの古典的な公衆衛生の手法は、患者の人権を犯すものとして拒まれている。

 この予防法の背後には、北米のゲイの間で成立していた「性的市民権」の前提がある。私は初めて聞く言葉だが、この論文の文脈では、性的関係において平等主義的で、互いの嗜好と同意と安全を尊重する態度、くらいに考えておけばいいのだろう。北米のゲイたちの間にはそれがあったから、コンドームを装着するセーフ・セックスが受け入れられた。二人の平等な「性的市民」が相互に安全を保証するために合意することができたからである。

 しかし北米とブラジルでは性のエトスが大きく違う。ブラジルでは「性的市民権」の概念は極めて薄い。ブラジルの男性たちは、性的快楽のためには何でもアリのポルノトピア的な空間を想像し、それを生きている。あらゆる種類の性的嗜好を自由に楽しみ、バイセクシュアリティの間で流動的に振舞うことが男たちの間で広まっている。処女が少ないからその代わりだとうそぶいて、アナル・セックスの処女を奪う男たちや、配偶者にアナル・セックスを強要する夫たち。貧しい家庭の親に遺棄されて、路上で売春を強要されて暮す少年・少女たち。オカマとさげすまれ、何をやっても受けいれるとされる女装者たち。こういった空間には、アメリカの高い教育を受けたゲイの間で成立していた「性的市民権」などありえない。強者による弱者へのむき出しの強制としての性行為があるだけである。その中で広がる感染を食い止めるためには、コンドーム装着を教育してセーフ・セックスを呼びかけるのとは違うアプローチが必要であるというのが、筆者の主張である。

 ちなみに、キューバでは状況は全く反対である。キューバはエイズの流行を初期段階で押さえ込むことに成功したが、それはリスクグループには検査を義務化し、HIV陽性者をサナトリウムに収容するという、古典的な検査―隔離モデルに基づくものであり、人々を監視し隔離するメカニズムの勝利であった。

 もう一つちなみに、ブラジルのエイズ対策がその後方向転換したのか、それともこの評論の筆者がそもそも救いがたいほど間違っていたのか、発展途上国のエイズ対策のモデルとも言われるようになった。どこで、何が変わったんだろう。 それとも、何も変わっていないのだろうか。