食物の世界史

必要があって「食物の世界史」の教科書を読む。文献は、Pilcher, Jeffrey M., Food in World History (London: Routledge, 2006). ラウトレッジの World History シリーズの一冊。このシリーズの「病気」ものは失望したけれども、本書はクリーンヒット。13章立てで古代ローマ・中国から現代のマクドナルド・スローフードまでカバーし、大胆だけれども説得力がある比較史の視点がふんだんに盛り込まれている。日本の江戸時代と18世紀のフランス・イギリスを比較して、三つの国の状況が大きく違っていたのにもかかわらず、どの国でも中世から近代に移行するにつれて、豊かで多様な味覚をもってよしとする食文化から、シンプルでくっきりとした味を賞玩する食文化に変わっていくという共通点を持つという議論がされていて、面白かった。

分析するツールとしては五つ。一つが、食物の伝播とグローバル化。米・小麦・とうもろこしといったスーパー穀物や、茶・コーヒー・トウガラシなどの刺激物は急速に世界に広まった。これについては、例えばチョウジのように逆グローバル化というか、中世にはもてはやされて世界的な需要があったのに、ごくマイナーな食材になったものもあって、この点が気になる。二番目が農業と牧畜・遊牧が土地をめぐって拮抗していたこと。三番目が階級が食事に影響を与えたこと。王侯貴族はその富にふさわしい宴を張り、中産階級は貴族とも民衆とも違うコーヒーを飲んで公共圏を形成した事例が挙げられている。四番目は、ジェンダーや民族などのアイデンティティが食物の選択や調理を通じて形成されたこと。これは独自性の主張であると同時に、同化の経路にもなった。五番目が国家の役割で、農業政策などを通じて、食物とそれを中心に形成される社会関係に国家が大きな影響を与えたこと。この五つは、どれも現在の歴史学で盛んに使われている概念装置で、食物の歴史が、好事家の趣味を超えてアカデミックな歴史学の本流にさおさしていることを反映している。

この本は知的に洗練されているだけでなく、すごく読みやすい。食物の話は親しみやすいということもあるし、単に筆者が優れた学者であるということもあるが、何よりも構成の勝利である。広い地域と長い時代をカバーした教科書を面白く書くにはこうすればいいのか、と目から鱗が落ちる思いで読んだ。

アカデミックな本だけれども、その一方で、好事家的なトリヴィアもセンスよく選ばれて上手にちりばめられている。その中から二つだけ。一つが、シャンパンについての話。モエ&シャンドンは、今でこそシャンパーニュの伝統の守護神のような顔をしているけれども、1911年に他の土地からブドウを輸入して「シャンパン」を作ろうとしたことがあって、収入源を失うことを恐れた地元のブドウ農家が暴動を起こし、農民の圧力の結果、法令で強制的に義務付けられて地元産のブドウを使っているって、知っていました? もう一つはシンプルなトリヴィア。ナビスコって、National Biscuit Company の略だって、知ってました?