衛生経験の聞き取り

頂いた論文を読む。文献は宝月理恵「身体化される衛生経験―昭和前期の健康管理をめぐる男性の語り」『F-GENS』September 2007, 31-38. 

ヒストリオグラフィの整理から始まる論文である。先日取り上げた成田龍一らの研究の方向をフーコーの影響を受けた生権力論と位置づけて、それに替る、あるいは補完するヒストリオグラフィを模索している。

過去15年くらいの間に多くの成果を挙げた生権力論は「プレスクリプティヴ」な資料の分析で、女性の身体は○○だから女性はかくあるべし、子育ては××のようにするべし、という姿勢で書かれた資料を用いていた。具体的には一般向けの衛生指導書や論文の類である。こういった資料からは、女性たち自身が自分の身体をどのように捉えたのかという問題や、子育ての現実はどうだったのかという問題は、ありていに言ってしまえば、わからない。この問題についての我々の知識は極めて乏しいにもかかわらず、身体を定義し、権力の対象として身体という問題を作り上げようとしてきた言説に分析が偏っている。これは、マーク・ジェンナーが的確に指摘していることでもある。私も、身体の現実が分らないのに、それを周囲から構成した力ばかりが分析されている、「ドーナツ型の」ヒストリオグラフィという言葉で表現したことがある。 

その状況を乗り越えるために、この論文が使っている方法は「聞き取り」である。昭和戦前期に少年・青年であった人々にインタヴューをして、どうのようにして衛生と身体の問題を意識していたかをさぐろうとしている。プレスクリプションだけではなく実態をみることを可能にするタイプの資料を聞き取りを通じて発掘しようというわけである。面白い例がたくさん紹介されていて、神戸の小学校が歯磨き運動に熱心だったから「歯を磨かされた」ことを記憶している男性の例や、同じ男性が衛生博覧会で梅毒に蝕まれたショッキングな局部の写真などを見て震え上がった経験などが紹介されている。あるいは、当時「赤本」と呼ばれた家庭医学書の利用についてのインタヴューも面白かった。

文中で言及したマーク・ジェンナーの論文は以下の通り
Jenner, Mark S.R. and Bertrand O. Taithe, “The Historiographical Body”, in Roger Cooter and John Pickstone eds., Companion to Medicine in the Twentieth Century (London: Routledge, 2000), 187-200.