衛生改革の歴史の書き方

19世紀イギリスの衛生改革の歴史を読む。20年近く前の論文だけど、著者の深い思索と鋭い分析はファンが多く、この論文も色々なことを考えさせられる傑作だと思う。文献は、Hamlin, Christopher, “Muddling in Bumbledom: on the Enormity of Large Sanitary Improvements in Four British Towns, 1855-1885”, Victorian Studies, 34(1988), 55-83.

19世紀の後半にイギリスの各都市で、上水道・下水道の整備やゴミ処理場の建設など、衛生改革が進行する。この変化は、かつては中央政府の官僚や医者たちの衛生改革のヴィジョンに地方自治体が引きずられた起きたものだとみなされていた。衛生の科学に無知・無関心で、支出を削減して税金を減らすことばかり考えている利己主義者の集まりの地方政府が、開明的で科学的な専門家が集う中央政府の方針に、いやいやながら従った結果であると考えていた。

このように、「中央のイニシアティヴに対して受動的だった地方」というモデルでイギリスの衛生改革を理解するのは、部分的にしか正しくない。それは史実に反することを示す具体例も挙げられていたが、特に面白かったのは、「歴史学者の無知はブラックボックスを生む」という説明だった。つまり、「何が起きるべきだったかを知っている・あるいは知っていると思い込んでいる歴史学者から見ると、それを実現させた人たちが解決しようとしたテクニカルな問題がブラックボックスに入った状態になり、どうしてこんなに時間がかかったのかというような見方をしてしまう」ということだ。

19世紀後半に下水道を建設することは巨大な工事であり、技術的に解決しなければならない無数の問題があり、しかも根本的な方針においても、たとえば水で流すのがよいとか乾燥させるのがよいとかバキュームで吸い込むのがよいとか、さまざまなプランがある問題だった。人の土地に下水を通すだとか、既存の営利の水道会社との関係調整だとか、法律的に解決しなければならない問題も山積していた。こういった問題を把握しないで、「下水は、できるだけ早く作られるべきだった」という前提から出発した歴史学者から観ると、地方自治体がぬるま湯につかった因循家・守旧家の集まりのように見えてしまう。

「何が起きるべきだったか知っている歴史学者が陥りやすい落とし穴」というのは、色々な文脈で心に留めなければならない。きっと、現代の環境問題や地球温暖化問題にも同じようなことが言えるのかもしれない。対策を早く打ち出すべきだという環境活動家の福音には感謝するし共感するけれども、到底ルーティンとはいえないようなテクニカルな問題が錯綜する領域なんだろう。「なぜ、こんなに明白なことを実地に移すのに時間がかかるの?」という叱責に似た疑問は、貢献もするけれども的確な理解ではないんだろう。