必要があって、「近代医学は人間を断片化させている」という、昨今の医療批判の前提になっている命題を批判的に考察した論文を読む。文献は、David Cantor, “The Diseased Body” in Roger Cooter and John Pickstone eds., Companion to Medicine in the Twentieth Century (London: Routledge, 2003), 347-366.
現代の医療を批判する論客や、東洋医学・代替医学の推奨者や、それらに入れ込んでいる患者たちが、口を揃えていう台詞に、「西洋近代医学は人間を断片化させ、要素還元主義的である」という言葉がある。このような特徴を持つ医学は、「バイオメディシン」とか「生物学的医学」とか呼ばれることが多い。これらと対比されて、ポジティヴに捉えられる医学は「ホリスティックな医療」という触れ込みで語られることが多い。これらの、人間の断片化、要素還元主義、ホリスティックな医学、バイオメディシンといった概念は、とてもよく耳にするが、私がずっと理解できなかったものである。一般に、自分のとは違うディシプリンが使う概念というのは、基本概念であればあるほど理解できないものだけれども、これらの概念の「分からなさ」というのは、私が知っている現象について使われるものであるだけに、非常にフラストレーションがたまるものであった。たとえば東洋医学は西洋近代医学と較べて、どこが「要素還元主義的」でなく、どこが「ホリスティック」なのだろう? 両者には大きな違いはあるだろうけれども、その違いのどこが「要素還元主義的かそうでないか」と表現できるのだろう?それ以外の言葉で表現したほうが適切な違いはないのだろうか?
この論文は、このような疑問の多くを解消してはくれないが、少なくとも問題を整理してくれる非常に優れた論文である。議論のポイントは、「ホリスティックな医学」というヴィジョンは、1920年代に、西洋近代の臨床医学の<内部から>作られたということである。(holistic medicine という言葉が作られたのは 1926年である。)この、既存の医学の特徴を意図的に乗り越えようとしたヴィジョンが作られるときには、最先端の実験医学の成果も動員された。(著者は明示的には触れていないが、おそらくメチニコフや内分泌学のことなどを念頭においているのだろう。)その意味で、これらが実験医学と対立しないどころか、それと重なるのは当然である。臨床医たちがこのヴィジョンを持つにいたった制度的な駆動力は省略するが、その一つは、臨床の医療が官僚的な制度の下に組み込まれていったことの批判がある。そして、何よりも重要なのは、このホリスティックな医学というヴィジョンの背後には、医者たちの現代社会への批判と不安があったということである。伝統的家族・共同体の絆が壊れて、人間が断片化していくのを目の当たりにした(あるいはそう信じ込んだ)医者たちの社会批判が、新しい医療のヴィジョンを生んだ。そして、この社会批判としての新しい医学のヴィジョンが、戦後に引き継がれ、現代の「還元主義的な医学」「バイオメディシン」の批判に至っているという図式である。
これを読んで、かなりすっきりした。私自身のリサーチに照らしても、そう考えればいいんだと目からウロコが落ちる部分がたくさんあった。