ニカラグアの鉤虫症

Torres, Ligia Maria Pena and Steven Palmer, “A Rockefeller Foundation Health Primer for US-Occupied Nicaragua, 1914-1928”, CBMH/BCHM, 25(2008), 43-69.
ニカラグアは、1914年から28年の15年ほどの期間にわたって、ロックフェラー財団の鉤虫症コントロールのプログラムを受け入れた。この時期は、いわゆるニカラグア革命の時期であり、アメリカの帝国主義的な外交政策がニカラグアに大きな影響を与え、国家の方向性をめぐる激しい争いのあと、親米派の政権が権力を握った時期であった。かつては、このエピソードを、人道主義の偽装をしたアメリカ帝国主義の道具であると捉える見方が優勢であったが、この30年ほどの研究においては、そういう性格も確かに存在したことを認めたうえで、このような単純な見方ではなく、国際的なバイオポリティカルなコントロールのモデルは何か、それがどのように形成されたか、どのような政治・外交的な力がはたらいていたか、熱帯医学が持っていた人種論的な前提がどのように再生産されたのか、そして、民間医療に対してどのような戦いが仕掛けられ、バイオメディシンに移行していったのかという、多様な問いが問われている。一言でいうと、医療が、帝国主義的の道具かそうでないかという二元論で裁断することができない複雑なものであることを認め、その「類型学」を研究する方向に移行したのだと私は思っている。

この政治的な力学の中で形成されたニカラグアの鉤虫症コントロールは、のちにロックフェラー財団が行った、メキシコ、ブラジル、スリランカなどのより大規模な国家における鉤虫症対策の原型として働いた。重要なポイントは、鉤虫症コントロールがロックフェラーによって導入されることで、バイオメディシンを基本に持つ、社会政策・医療政策を実施する構造が、現実の社会に結晶させることができた。これは、まだ弱体であったニカラグア国家にとって、それだけでは実施することができなかった、地方・地域にいきわたった一貫した政策であった。ロックフェラー財団は、地域を統治するシステムをニカラグア国家が持つことを可能にしたのである。

ちなみに、ロックフェラー財団がアメリカ南部で行った鉤虫症対策については、見市先生の紹介がある。