カルダーノの夢

必要があって、ルネッサンスの自然哲学者、ジロラーモ・カルダーノの自伝を読む。文献は、Cardano, Girolamo, The Book of My Life, introduction by Anthony Grafton (New York: New York Review of Books, 2002).

カルダーノ代数学(三次方程式の解法を示したことで有名だそうで、確か数学史の授業で出てきたような記憶がある)、確率論、占星術などに長けたルネサンスの知識人。数奇な人生を送った人物で、その占星術はヨーロッパの王侯貴族たちに求められる一方で、ある書物で論じたイエスのホロスコープについての箇所が異端のかどで告発されて投獄されるなど、褒貶あい半ばした。彼が愛していた長子を失い、晩年に書いた自伝を訳したのが本書。このテキストは1930年代に翻訳されたものの復刻で、その翻訳者が基づいたのは文献学的に優れたテキストではないそうだけれども、本書に付されたグラフトンの解説は短いけれどもとても優れているし、なによりもこのテキスト自体がすごく面白くて、ファンも多いそうだ。しばらく前に記事を書いたイタロ・カルヴィーノも賛辞を寄せていた。

グラフトンによると、17世紀にこの書物を出版した出版社は、カルダーノのことを狂人だと思ったそうである。たしかに、自分には不思議で特別な能力があって、誰かが自分のことを話していると、その方向から不思議な音が耳に響き、話している内容が自分に良いものか悪いものかで、その音色が違うとか、その手のことを当たり前のように書くあたりは、そう思われても仕方がない。

全体にちりばめられた占星術の話や、自分の生活や習慣の細部を淡々と書いて、好きな魚の種類を列挙するあたりとか、自分の顔貌を観相学的に書くあたりなども面白かった。うぬぼれや謙遜もあるけど、それらは背景に退いていて、自分という現象を的確に記述するのが愉しいという清潔感がある。カルダーノは大学教授だったけれども医者の開業もしていて、その話もまとめてたくさん記されている。というか、もともとその部分が必要なところで、たぶんいま書いている本で使うだろう。

しかし、何よりも面白かったのは、彼が記した自分が見た夢の話である。「身体から自由になって孤独な私の魂が月の天球にいる」というような占星術師ならではのコスミックな夢も面白かったけれども、次の夢が不思議に心に響いた。

「1534年の朝未明、私はある夢を見た。右手には山があって、そのふもとを私は走っている。私の周りには沢山の人がいて、それは男女に子供、壮年、老人まで色々な人たちだった。私が、どこに向かって走っているのかたずねたところ、その一人が『死に向かって』と答えた。これに失望して、右側にも山があったのでそちらに向かった。山の斜面にはブドウが植えてあったけれども、その果実はむしられ、葉はしおれていた。」

なんか、この夢は、そのまま見そうな気がする。ルネッサンスの時代から伝染してくる夢なんて、ボルヘスが取り上げそうな気がする。いや、きっともうボルヘスが書いているのを、私が自分で気がついたような夢を見ているんだろうな(笑)

いま調べて気がついたのですが、この書物は、清瀬卓・沢井繁男訳で2005年に平凡社から翻訳が出ていました。私は読んでいないのですが、きっと優れた版を用いた翻訳なのだと思います。