15世紀解剖学教室の風景・答え




しばらく前に出したクイズの答えです。 重要な順に正解を言いますね。

D この場面の主人公です。 年配の医学部の講師です。 朗読にあわせて、解剖された死体の部分を指示・説明します。   

A 医学部の助教です。 若く、壇上に腰掛け、教科書(モンディーノの『解剖学』)を一節ずつ声に出して読んでいます。 朗読するのが仕事です。 講師の指示・説明が終わるまで、助教は次の節に行かないで待っています。 待っていないと、よく分からないといって学生が暴動を起こします。

C 医学部の学生 講師の指示・説明を熱心に聴き、死体を見ています。 ここで描かれているのは、学生の中でも身分が高い部類に属します。 

E 実際に刀を握って死体を解剖する外科医です。 ここでは、ひとりだけ身分が違う服装をしていて、大学のスタッフではないでしょう。 

B 解剖講義に招待された人たちです。 (解剖講義は公開でした) たぶん、街の医者などです。 おきていることに興味がないようです。 それだけでなく、説明しているときには余分なおしゃべりはしないことと釘を刺されていました。 

Aが教授でないというのは、私も驚きました。 この絵は、ヴェサリウス以前の解剖学教師は、壇上から教科書を読み上げるだけだったという議論の証拠になっていましたから。 この論文は、丁寧な論証で、その議論を否定した、とても重要な論文です。 Dが主人公だと考えると、『ファブリカ』の表紙絵で、解剖台の横に立っているヴェサリウスは、珍しくもなんともないわけで、そのほうがはるかに自然です。

Aが教授に「見えてしまう」ことは、普通の授業と異質な部分を持つ解剖講義を、普通の授業を描く構図で描いてしまったことによります。 解剖教育ではない教授風景であれば、壇上で教科書を読み上げて、それに説明を加える人間は同一なわけです。 しかし、解剖教育だと、書物を読む人間と、死体を説明する人間の二人が必要になる。 あるいは「読む」テキストが、書物と死体の二つ生じるといってもいい。 その、ダブル・テキスト状態を、一般的な大学教授の講義風景を描く構図にあわせて描いたのがこの絵です。 「書物を読む」ことが構図の中心になり、本来大学の中での序列は低い人物が主人公のように見えています。 一方、死体という「テキスト」とそれを説明する講師を中心にした構図もあります。 これでは、死体を指差す講師が中心をしめ、テキストを読むだけの人物は端に追いやられています。 

画像は、ヴェサリウスの「ファブリカ」(部分)と、ベレンガリオ・ダ・カルピの教科書より。 どちらも、死体のすぐ傍らで解剖された内部を指差す人物を中心においています。