茨城の精神医療

茨城の精神医療風土記を読む。文献は、倉持弘・大原重雄「日本精神医学風土記 茨城県」『臨床精神医学』19(1990), 117-126.

覚えておきたいポイントは三つ。江戸の精神病院と、温泉と、医師会と精神病院の関係。第一に、1849年に奈良林一徳が小松川に江戸に最初の精神病院を作ったのは有名である。(これはのちに加命堂病院となり、このあいだ記事にした二笑亭の渡辺金蔵が入院していたが、昭和19年に廃院となった。)この奈良林が「狂疾治療所」を開くときに、発狂治療法を学んだ大川開元という医者は、実は誰かは特定されていないが水戸藩の医師で、おそらく佐竹藩関係の人物だろうとのこと。ふらりと江戸にやってきて発狂の治療法を教えて江戸-東京の精神病院第一号をつくって、またふらりと去ってしまったなんて、まるで山伏みたいで面白い。第二が、これもしばらく前に記事にした定義温泉の類似施設が茨城にあったこと。今の北茨城市関南町にある神岡下村という土地に、湯の網温泉という施設があって、これは元禄年間の創業と伝えられているが、宮城の定義温泉から、青根、折木温泉を経て浜街道を通じて、低温の温浴が伝えられているそうだ。大正から昭和にかけてこの温泉は繁盛し、入浴客の10%くらいは精神病患者だったという。最後に医師会の話だが、昭和4年に内務省が各県医師会に精神衛生の施設拡充に関する方策を諮問したときに、茨城の医師会は、それは医師会自体が公的に行うことではないと回答したが、その後に昭和8年に水戸に酒門脳病院、10年に大浦病院と、私立の精神病院の開設が続いた。前者は、材木商を営む資産家の高瀬久雄が、医学を学んでいた長男が将来開業できるように作ったとのこと。不幸にして長男は千葉医科大学の医局に入局したときに病没してしまうが、その後、千葉医科大学の医師がきて開業したという。

そうか、内務省だけではなく医師会が媒介していたのか。憶えておこう。資料があるといいんだけど。