バリの精神分裂病

必要があって、東京とインドネシアのバリの精神分裂病を比較した一連の研究を読む。文献は、Kurihara, T. et.al., “Outcome of Schizophrenia in a Non-Indurstiralized Society: Comparative Study between Bali and Tokyo”, Acta Psychiatrica Scandinavica, 101(2000), 148-152; T. Kurihara et.al., “The Low Prevalence of High Levels of Expressed Emotion in Bali”, Psychiatry Research, 94(2000), 229-238; T. Kurihara et.al., “Public Attitudes towards the Mentally Ill: A Cross-Cultural Study between Bali and Tokyo”, Psychiatry and Clinical Neurosciences, 54(2000), 547-552.

精神分裂病の発症や症状が「文化・社会的な要因」によって変わってくる部分があって、この論文が、治療の結果が変わるかどうかということを、先進国と発展途上国の違いということに着目して調べている。私はもちろん知らなかったけれども、精神分裂病の予後は、発展途上国のほうが総じて良いというのがWHOの研究チームが引き出した結論で、それを批判する反対者もいるという状況らしい。この一連の論文は、東京とバリの精神病院で「精神分裂病統合失調症)」という診断を受けた患者を探し出して、5年後の様子を面会や電話インタヴューなどで調べた調査を行った。患者の数はどちらも40人から50人程度。どの程度回復し通常の生活を送っているかというスタンダードな指標を、東京の患者にもバリの患者にも使い、複数の医者で記録を再チェックするなどの手立てを施して、医者の主観的なバイアスや、地域ごとの診断基準によるバイアスなどでデータが歪められないような工夫をしてある。

その結果、簡単にいうと、バリのほうが精神分裂病患者の予後が総じて良かったという。この結論がどれだけリライアブルなのかは、筆者たちが使っている基準が専門的で私には分からないが、面白かったのは、その理由を推測している部分である。バリの大家族制が、精神病後の患者をケアするのに、小家族よりも適しているだろうという推測はなんとなく分かるし、実は私も文脈は違うけれども、似たようなことを考えたことがある。とても面白かったのが、バリでは精神病は魔術に帰せられることが多いから、遺伝子や個人の精確や家族の血統に精神病の原因を求める近代化された社会(東京)とは違い、家族や患者個人に「精神病の責任」を取る圧力がかからないようになっているという説明だった。精神病の原因は魔術だと思っている家族が、患者を近代的な病院に送るというのも面白いけれども、近代病院に送ってもやはり魔術的な行動パターンが残っているというのが興味深い。

それはそうと、バリでは、誰かを魔術をかけて精神病にした人間(魔術師)の責任は追及されないのだろうか?