大杉栄のマスターベーション



必要があって、20世紀前半の日本における神経衰弱を論じた論文を読む。Fruestueck, Sabine, “Male Anxieties: Nerve Force, Nation, and the Power of Sexual Knowledge”, in Morris Law ed., Building a Modern Japan: Science, Technology, and Medicine in the Meiji Era and Beyond (Oxford: Palgrave Macmillan, 2005), 37-59.

この論文は、カルスタ風の方法で、20世紀前半の日本の神経衰弱を取り上げて、その背景を縦横無尽に論じた論文。19世紀以降にグローバライズした病気は、コレラやインフルエンザなどの感染症だけではない。1860年代にアメリカのビアーズが「アメリカ病」として文明の発達に伴って増えると論じた neurasthenia は、19世紀末から20世紀にかけて、ドイツ、フランス、日本などにおいて、それぞれの国で診断名や症状の濃淡を変えて「流行」した。これは、「もう一つのグローバルな流行病」と言っていい。国ごとの症状や疾病モデルの違いなどについての突っ込んだ分析はされていないが、日本の神経衰弱もグローバルな流行の一こまだったという指摘は、ちょっと目からうろこが落ちた。 

この論文は、特に「性」の問題に着目して、神経衰弱と誤った性行為を結びつけた言説に注目している。この誤った性行為というのは、具体的には主に青少年の男性のマスターベーションをさす。軍隊における理想的男性像としての強壮な兵士の確保、青少年の健全な教育において正しい性のあり方を教えることをめぐる議論、そして1920年代以降の性の問題をめぐる議論などから、帝国主義的な競争の中で健全な国民を作る目的の中で神経衰弱と性の危険が論じられた過程をあぶりだしている。また、神経衰弱や男性の性的な能力低下を治療するとされた薬の広告も分析されている。

このように軍国主義と強烈な国家意識に支えられた神経衰弱という「病気」は、終戦によって、かつての男性性が破産したあとも生き延びて、それは勤労者の病気になっていく。この現象から、筆者とは別の解釈をすることも可能だという印象を持った、つまり、戦前の「神経衰弱」という病気の流行は、表面的には軍国主義的な健康のイデオロギーに支えられていたが、実は別の力学がこの病気の有効を生んでいたという解釈も面白いと思うけれども。

森鴎外大杉栄がそれぞれ自伝の中でマスターベーションに触れているということや、山本宣治と安田徳太郎の日本の青年の性行動の調査も論じられていて、短い論文だけれども盛りだくさん。

図版は本書から。ハヴロック・エリスの翻訳の予告の表紙絵と、強く大きな男性になるための器具の広告。