ロボトミーと精神分析

新着雑誌から、ロボトミーと精神分析の関係についての論文を読む。文献は、Raz, Mical, “Between the Ego and the Icepick: Psychosurgery, Psychoanalysis and Psychiatric Discourse”, Bulletin of the History of Medicine, 82(2008), 387-420.

現在の(日本の)精神医学で「聖域」があるとしたら、それはロボトミー批判だろう。多くの聖域がそうであるように、そこには貴重な真理と倫理的な教訓が含まれている。それと同時に、これまた多くの聖域と同様に、ロボトミーの実態に関する誤解も含まれている。特に「ロボトミー大国」であったアメリカにおいては、ロボトミーの実態に関するめざましい研究の進展がある。それらは、多くの場合、ロボトミーが「誤った」治療法であったことを認めつつ、「なぜ」それが医者と患者側に受け入れられたのかという問いに、誠実に答えようとしている。

精神外科がアメリカで広く行われていたのは1940年代後半と50年代であるが、その時期は、精神分析がアメリカに急速に根付いていく時期でもあった。この二つの精神医学の「学派」は、一見すると対照的な二つのアプローチのように思われる。身体的・心理的という対比だけでなく、アイスピックをふるって脳を操作する外科医と、患者の言葉に耳を傾ける分析医の間には、大きな懸隔があったように思えても不思議ではない。しかし、近年の研究は、両者の距離は意外に小さく、異なる点よりも共有している点が多かったことを示している。この論文も、ロボトミー推進者のフリーマンのアーカイヴなどを使って、精神分析と精神外科が、同じパラダイムに基づいていたことを論じている。