オペラというジャンルの最大の弱点は、そのばかげた筋立てだろう。その中でも、プッチーニの『トゥーランドット』の筋立ては、群を抜いてばかげていて、正直言って敵意すら抱かせるようなストーリーである。話としては、数千年前に辱められた先祖のお姫様の復讐を果たすために、求婚者に謎をかけて、それに答えられないと死刑にする中国の紫禁城に住む皇女のトゥーランドットに一目ぼれしてしまったペルシャの王子カラフの物語。この謎というのも、なんかポイントをはずしているのだけれども、その三つの謎を解いたカラフは皇女を自らのものにし、最後には、冷たい心のトゥーランドットも愛を知りカラフへの愛に燃え、男が女を征服して二人が愛し合うようになるというハッピーエンド。王子を慕って愛していた奴隷女のリューが、よく分からない事情で王子の名を明かさないために自殺した直後のこの「ハッピーエンド」は、観客を鼻白ませて、むしろ興ざめするというのが、偽りのないところである。
そういう理由で、このオペラはあまり好きではなく、それほど期待していなかったけれども、今回の舞台は私が観た限りでは最高の傑作。ヘミング・ブロックハウスというドイツの演出家で、この話を、人形劇場の中で演じられる劇中劇に仕立ててある。舞台に人形劇「トゥーランドットを演じるキャラバンの車が登場して、その中と外を行き来しながら皇女とカラフの物語が進行する。人形劇だとすれば、どんなにお馬鹿なストーリーでも気にならず、素晴らしい音楽の劇的な効果が前面に出ていた。大量に動員された上海モダニズムと京劇が半々のようなダンスも、すごく効いていた。
フィギュアスケートの荒川静香さんが使って日本でも超有名になった「誰も寝てはならぬ」は、いいメロディーだけれども深みがない能天気な歌だと思っていたが、この演出で聞くと、キッチュで作り物で人工的で伝統と契約に縛られた、それこそ「人形劇のような」中国風の旋律と対比されて、自由であふれんばかりの人間らしい感情が表出した、すごくいい歌だなあと思った。オリエンタリズムだとかフェミニズムだとか、それこそ、いまとなっては伝統的でお約束になった視点でこの作品を分析することはもちろん当たっているけれども、この演出を見ると、そこをいったんくぐった新しい解釈で、一時は失われかけた古典が再生されるのかなという予感がした。