佐々木蔵之介の『マクベス』

 

パルコ劇場で公演中の『マクベス』を観た。もともとはグラスゴウで上演し、大好評を博してNYでも上演した演出。精神病院に収容され独房に隔離された精神病患者が、その妄想の中で『マクベス』をすべて一人芝居で再現するという独創的な演出。マクベスマクベス夫人、マクダフ、ダンカン王、三人の魔女など、ほぼすべての役を一人の役者が演じる。今回の公演で一人芝居をする役者は佐々木蔵之介。彼がマクベスマクベス夫人の絡み(ここは文字通りの絡みになる 笑)や、マクベスと三人の魔女のやりとりを一人で演じるのを観るのは、本当に見ごたえがあった。もともと『マクベス』は、たぶん、私が一番好きな芝居で、観るたびに心の奥底に食い込む作品であるが、この作品は、特別な迫力があった。私の心に狂気が潜んでいて、その狂気が『マクベス』の形をとって内から突き上げてくるようだった。

精神医療の歴史の研究者としてまとまったことが言えるわけではないが、面白かったことを書いておく。それは、医師と看護人の役割である。佐々木蔵之介以外に二人の役者が登場して、劇の冒頭でそれぞれ精神病院の精神科医と看護人として患者を独房に受け取り、彼らが部屋を出ると佐々木がマクベスを演じ始める。(ちなみに、医師は女性が演じる女医ということになっている) この二人はしばしば独房内を監視する窓に現れて、佐々木が妄想の中で『マクベス』を演じているのを眺めている。しかし、時々、この妄想の世界が破れて、医師と看護人が独房に入ってきて『マクベス』の世界から精神病院の世界に引き戻されるという構成になっている。たとえば、ダンカン王を殺したあとにマクベスが手を血だらけにする場面で、ベルが鳴って医師と看護人が急遽到着して、王殺しが患者が自傷した事件ということになる。ここでは、医師と看護人が患者の妄想を破って現実世界を見せるということになる。

その逆のパターン、つまり佐々木蔵之介の妄想の世界に精神科医と看護人が引き込まれるのが、マクベス夫人の夢遊病の場である。夢遊病の場は、『マクベス』の脚本ではマクベス夫人が夢遊病を起こして自分の罪を口走りながら手を洗うのを、医師とおつきのものが見るという設定になっているが、佐々木蔵之介夢遊病の場を始めると、精神科医と看護人を演じていた役者が、マクベスの世界の中の医師と看護人を演じることになる。ここでは、現実が患者の妄想の世界に引き込まれて、かつては堅固に精神病院でありつづけた監視窓の向こうが、マクベスの世界になってしまう。この双方向性が非常に不思議であり、引き込まれた個所だった。

演出も佐々木蔵之介も素晴らしかったと言ったあとで、これも書いておこう。実は、初めて役者が台詞を度忘れしたのを観た。もちろんそういう演出なのかもしれないが、あれはきっと度忘れなのだと思う。

台詞の度忘れは名場面の名台詞で、誰でも知っている台詞だというが、まさにその通りで、5幕のたぶん一番有名な独白である。マクベス夫人の自殺を知らされた、マクベスの以下の台詞である。

 

She should have died hereafter;
There would have been a time for such a word.
To-morrow, and to-morrow, and to-morrow,
Creeps in this petty pace from day to day
To the last syllable of recorded time,
And all our yesterdays have lighted fools
The way to dusty death. Out, out, brief candle!
Life's but a walking shadow, a poor player
That struts and frets his hour upon the stage
And then is heard no more: it is a tale
Told by an idiot, full of sound and fury,
Signifying nothing.

私はこの独白が特に好きで、プリントアウトして自宅のトイレに貼ってある。この独白の最後の部分、Signifying nothing. 松岡訳だと「筋の通った意味などない」というようになるらしいのだが、「筋の通った」を言った後で、ふぅっと台詞が出なくなってしまったのだろうか。空白があり、もう一度「筋の通った」と言い、そこでも空白があり、やっと「筋の通った 意味などない」と台詞が出て、ようやく締めることができた。もちろん、そういう演出だったのかもしれないし、これが舞台を損ねたということはまったくなかったと思う。しかし、とても不思議な感じがしたので、書いておく。

ちなみに、名前は忘れたが、イギリスの名俳優の一人は、舞台でハムレットを演じたときに、To be or not to be の後の台詞を度忘れしたとのこと。「自分で自分が信じられなかった」と言っていた。しかし、その台詞は観客のほとんどが憶えているものなので、観客から次の台詞を教える声が飛んで無事に思い出すことができたという、面白い話も読んだことがある。

 

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