フランス植民地の精神医学

必要があって、20世紀の北アフリカのフランス植民地の精神医療の歴史を研究した論文を読む。文献は、Keller, Richard C., “Taking Science to the Colonies: Psychiatric Innovation in France and North Africa”, in Sloan Mahone and Megan Vaughan eds., Psychiatry and Empire (Basingstoke: Macmillan, 2007), 17-40.

20世紀前半のアルジェリアなどのフランス植民地の精神医学は、フランツ・ファノンによって『地に呪われた者』で批判され、同書はポストコロニアリズムの最も重要な古典の一つになったことから、精神医学の仮面をかぶった植民地支配であるとして知られている。このある意味で「悪名高い」精神医学の学派を、もういちど検討してみようという論文である。アルジェ学派に対するファノンの批判が当たっていることを認め、それをさらに深化させる史実を掘りおこす一方で、当時のフランス本国の精神医学に対するリベラルな革新がこの学派のもっとも重要な特徴であるとする、複雑さをデリケートに捉えた議論になっている。

1920年代にはフランスの精神医学は危機に陥っていた。ドイツからの概念に圧倒され(クレペリン、フロイト)、国内では心理学的方法(ジャネやベルクソン)が影響を持ち、1838年の法律で定められた公立の精神病院は閉鎖的・官僚的であった。1922年に、精神衛生・予防同盟が作られ、それを指導したパリの精神医学者たちから、より「病院」的で、監禁施設の性格を脱した精神病院へと改革しようという声が上がるが、同盟の一連の提案はうまくいかなかった。この提案が最初に結実したのはアントワーヌ・ポローを中心にしたアルジェなどであった。(科学史で話題になっている、中心ではなく周縁で科学的なイノヴェーションが始まった例である。)アルジェでは、公立病院に設置された精神病の診療所が精神医療システムのハブになり、慢性患者を収容するのはアルジェから50キロ離れた地につくられた。これは、アルジェでは精神医療が警察の権力に服従した度合いが、本国の精神医療よりもはるかに低かったことによる。

この先進的な精神医療システムと精神医学者の自由がもたらした影の部分は、電気ショック療法やロボトミーの乱用といってよいものであった。本国の医者たちが、それらの療法のすさまじい力にたじろぎ、慎重に用いることを呼びかけていた時代に、ポローを中心とするアルジェの精神科医たちは、本国よりも早くECTを導入し、その利用範囲を拡大した。詳細は不明だが、診断にすら使ったという。(私も、ECTの乱用といっていい史実は知っているけれども、診断に使ったというのは、それはすごい・・・)ロボトミーも、それは人格に不可逆的な変化を与える治療法であるという慎重論や反対を、「だって、その人格って、病気にかかった人格じゃないか」と肩をすくめて相手にしなかった。これも、医者の「自由」が許した行為であった。