ウィルス入門


必要があって、一般向けにウィルス学を解説した書物を読む。文献は、Crawford, Dorothy H., The Invisible Enemy: A Natural History of Viruses (Oxford: Oxford University Press, 2000).

著者はエディンバラ大学微生物学の先生である。一連のウィルス(とそうでないもの)をめぐる世界的な不安と混乱の中でキャリアを過ごしてきたのだろう、単にウィルス学入門だけでなく、HIV以来の、ウィルスをめぐる社会的な状況に対する洞察も随所に盛り込まれている。医者が公衆に向けて書くときの常として、メディアによる誤った見解の扇動に非常に批判的である。特に、HIVとAIDSの関係について論陣を張ったピーター・デュースバーグ(Peter Duesberg)に対して―というより、それを擁護したマスメディアに対しては、厳しい態度をとっている。デュースバーグは、HIVはAIDSの原因ではなく、アフリカで人がばたばたと死んでいるのは、新しい感染症ではなくて、貧困の激化のためであり、それをHIVの問題にするのは問題のすりかえであるという、基本的には善意と正義感に基づいているが、結果的には間違っていただけでなく有害な論を展開した。この見解は、イギリスで『タイムズ』が擁護することになった。『タイムズ日曜版』は、「ヘテロセクシュアルな性交でAIDSになることはありえない」という、いまとなっては暴言としか考えられないことを活字にしていて、イギリスの厚生省は、これを論駁するためにTVで非常に深刻なキャンペーンをしていた。

クロウフォードの苛立ちと、マスコミの有害なキャンペーンに対する憤慨は正当である。間違いは批判的に正されなければならない。一方で、クロウフォードが時折陥っている、マスコミとウィルス学者という二分法と、前者の無知とバイアスが問題であるという態度は、事態を的確に捉えていないだろう。マスコミのほうがより無知であり、よりバイアスが強いのは確かである。しかし、ウィルス学者だって間違える。クロウフォード自身も書いているように、BSEプリオン説が受け入れられるまでは、スコットランドの学者は、BSEやクールーの原因はウィルスであると主張し続けていた。その後の、「狂牛病」をめぐるイギリス政府(と疫学者)の茶番は、ご存知の通りである。クロウフォードの「マスコミとウィルス学」という二分法は、現在の医者・科学者がよく使う枠組みだけれども、事態の一部しか捉えていないような気がしてならない。

そして、デュースバーグが張った論陣に『タイムズ』が与したのは、デュースバーグの議論が「社会」の問題にセンシティヴであったからであり、それこそが実験室でのHIVの操作に夢中になりがちなウィルス学者たちが見落としているものだという、マスコミ人の直感にびびびっときてしまった(笑)からである。

画像は、テキサスのエイズのキャンペーン。 日本でも、元カレの元カノの・・・というのがありましたね。