新着雑誌から、19世紀後半のイギリスにおける地域看護婦と食事指導について論じた論文を読む。文献は、Akiyama, Yuriko, “Cookery, Diet and District Nursing in Late Nineteenth-Century London”, 『日本医史学雑誌』55(2009), 3-13.
19世紀後半のイギリスの看護婦というと、ナイチンゲールの病院看護が有名だけれども、それと並行して地域看護も発達していた。「聖書の婦人たち」(Bible Women)などの伝統もこれと関係があった。これは、中産階級のご婦人が貧民の家庭を訪問して、失業者に向かって、聖書の一節を読んだり、正直者への神の慈愛と怠惰なものが受ける罰を説いたりするなど、同時代人と歴史学者の揶揄の格好の素材であったけれども、プラクティカルな家政術の基礎を貧民の家庭に教える効果もあった。ナイチンゲール自身も、地域看護の必要性を折に触れて説いていた。ナイチンゲールは、ミアズマ対策を説いて病院の環境を整えることに心血を注いだ。いわゆるナイチンゲール病棟は、日光がさんさんと降り注いですべての不潔を明るみにだし、風が軽やかに吹き抜けてミアズマを吹き飛ばし、病気の原因が発酵して腸チフスが天然痘に変化してしまうことがない(笑)モダンな病棟であった。これを薄暗いスラムの地下室にあるような貧民の家庭で実現することは、現実離れしていた。食事指導と、安くて栄養になる食事の作り方は、現実的なオプションであった。
地域看護に当時の先進的な科学的な看護法、特に食事と調理指導などを教えた女性としては、ロンドン病院で看護法を教えたエヴァ・リュックス (Eva Lueckes)、エイミー・ヒューズ(Amy Hughes)などの名前が挙がっている。ウィルビー・ハート(Wilby Hart) という看護婦が1900年代につけていた日記から、卵を食べない患者に、それとわからないようにまぜて食べさせた方法などが記されている。
著者は、寡聞にしてお仕事を知らなかったが、ロンドンのキングス・コレッジで博士号を取ったあと、Feeding the Nation という書物をマクミランから出している若い学者である。