必要があって、帝国とハンセン病についての文化史の書物を読む。文献は、Edmond, Rod, Leprosy and Empire: a Medical and Cultural History (Cambridge: Cambridge University Press, 2006)
著者の説明によると、もともと南太平洋を舞台に「らい病」を主題にした文学作品の研究をするために、同じ時代のらい病の医学史の書物を参考にしようとしたら、それにあたる書物がなかったので、仕方がないから自分で書いた、という可笑しい動機で書かれた本。この手の歴史研究は、少なくともかつては「正統的」だった政治史や経済史から揶揄を込めてcultural history とか日本語だと「カルスタ」とか「言説分析」とか呼ばれる方法である。一時、この方法をめぐって「正統的な」歴史学者たちが色々と発言したことがある。医学史の世界だと、ロジャー・クーターが2003年に Victorian Studies に出したレヴューが、この立場の研究を批判的に突っ込んで論じているのが有名らしい。私は知らなかったけれども、この本で取り上げて、議論されていたから、クーターの論文を時間を見つけて読んでみよう。
そういうわけで、色々と議論があるカルスタの方法だけれども、この本は文句なしに傑作である。まず第一に、メアリー・ダグラス、フーコー、クリステヴァ、ジョルジオ・アガンベン(『ホモ・サケル』)といった文化理論の古典や新鋭を論じて、方法論的な議論で一つの章を組み立てることができる理論的な洗練がある。そして、これまで読まれて内容をきちんと論じられなかった医学テキストや、1867年のロンドン内科医協会の大英帝国らい調査報告、ノルウェイのハンセンのらい菌の発見をめぐる議論といった、医学史の基本的な情報が、たぶん初めて整理して描かれていることがある。最後に、この部分が著者の筆が一番冴えているところだけれども、19世紀から20世紀にかけて、コナン・ドイル、キプリング、スティーヴンソンといった作家のらい病や感染を主題にした文学作品がたくさん取り上げられて、達者な仕方で分析されていることである。『ドリアン・グレイ』とか「老水夫行」などの超有名な作品が、らい病のイメージに重要な仕方で触れていることも鋭く指摘されている。
トニー・グールドの Don’t Fence Me In の翻訳が準備されているそうで、訳者の方にはもちろん敬意を払うけれども、ロッドの著書のほうが、学術書としてだけでなく、一般向けのことを考えても格段に優れている。出版社の方で、このブログを読んでいる方がいらしたら、ぜひ、翻訳を考えてはいかがですか(笑)
画像は、1891年に出版された書物の「らい病世界地図」。 日本が薄くピンクに色塗りされていたのは、日本の医者や政府はさぞかし屈辱だと思ったのだろう。この屈辱から脱し、日本かららい病を根絶しようと思ったのが、1996年の「らい予防法」廃止まで続く強制隔離の悲劇―そして後半部は「過ち」になってしまった―の始まりなんだろうな。