必要があって、「抑制」という概念が神経生理学と心理学でどのように用いられたかを論じた書物を読みなおす。文献は、Smith, Roger, Inhibition: History and Meaning in the Sciences of Mind and Brain (London: Free Association Books, 1992).
「抑制」という一つの概念の歴史を書くこと、それも、19世紀の神経生理学と心理学という二つの学問領域に絞り込んで「抑制」の歴史を書くという、かなり大胆な構想の書物だけれども、幾重にも高度な概念的・方法論的な仕掛けが施された、科学の概念史の玄人向けの書物である。
19世紀の神経生理学でも心理学でも「抑制」(inhibition) という概念が、理論の中心的な役割を果たした。もちろん、それぞれの領域で違った意味合いで使われていて、神経生理学では刺激に対する反応が抑えられるという意味で用いられ、心理学では、精神のいくつかの機能の中で、ある機能が別の機能を制止するという意味で用いられた。特に前者の神経生理学では、厳密な実験・観察と概念的な洗練が手を携えて進み、医学の進歩の一つの規範にすらなっていたし、後者もそれを志向していた。そして、どちらにおいても、この「抑制」は、二つ以上のモノの関係をどう理解するのかという大きな問題の中で捉えられており、その意味で、社会というものをどう捉えるかということと密接な関係があった。
特に、個人の中に、<律する機能と、律せられる機能>があり、前者が後者を支配することが個人の生命なり人生なりの成功の鍵であるという考えや、あるいは、複数の機能の調和的なバランスが生命体の健康や幸福の源であるという考えは、社会秩序に関する捉え方と共通するものであった。自律する個人や、内部で調和する個人を作る原理が、社会が構成される原理と、同じ語彙で語られたのである。個人の自律や調和が社会秩序の源泉であるという考えは、19世紀のイギリスのような個人主義的な価値観に支配された社会において、生理学や心理学の「抑制」の概念に翻訳された。自律的な個人が社会秩序に貢献するという思想を、身体のメカニズムへと「身体化」して捉えたのが、19世紀の神経生理学であった。また、生理学が勝ち得た厳密な科学としての権威は、社会秩序を「自然な」ものであるとして正当化することにもなった。
この議論は、細い鋼材で組み立てられた大きな建築の骨格を思わせる。構造は堅牢だし、接続部分は厳密に構想されている。生理学・心理学における「抑制」という概念の吟味を通じて、19世紀の社会思想と科学史の相互依存を論じたこの書物は、身体秩序と社会秩序のホモロジー(類同性)を論じた議論の中では、傑作だと思う。
この書物は、たしか、出版されてすぐに買って読んだから、17年ぶりに読むことになる。昔読んだ書物には書き込みが残っていることがあるけれども、その書き込みを読むたびに、赤面する。「昔は物を思わざりけり」という言葉は、こういうときのためにあるんじゃないかとすら思う。