アグロ・エコロジカルな歴史

必要があって、農業とエコロジーの歴史の方法論を論じた論文を読む。文献は、Worster, Donald, “Transformations of the Eart: toward an Agroecological Perspective in History”, Journal of American History, 76(1990), 1087-1106.

人間がその中で暮らしている、相互に関連する異種生物と非生物の総体の一つのユニットをエコシステムといい、そのエコシステムの歴史を書こうと試みている歴史学者たちがいる。狩猟・採集段階を除けば、人間は農業を営んで、食用などに利用するために、植物や動物を生産してきた。この栽培される植物や飼育される動物は、それを中心にしてエコシステムが再編される重要な意味を持つものであり、農業を中心にしてエコシステムを考察することができる。これを、アグロ・エコロジーという。このアグロ・エコシステムの構造や内実はもちろんそれぞれの土地によって違うが、しかし、どのアグロエコシステムにも共通する特徴を持っていて、それは、もともとのエコシステムを単純にして切り詰めたものであり、そこからある作物をシステムの外へと出すということである。

二番目の「ある作物をシステムの外へ出す」ということについては、農業だから当たり前である。これはいい。よく分からないというか、ピンとこないのは、もとのエコシステムをより単純にしたものかということである。例えば、日本における農業用に人間が手を加えたアグロエコシステムである「里山」は、トンボもメダカもツバメもいる豊かなエコシステムだといわれている。でも、このあたり、「日本野鳥の会」の影響で、私が里山を美化しすぎているのかなあ(笑) 

ケンタッキーの開拓についてのエピソード。白人が入植する前のアメリカのケンタッキーは、ごつい籐(トウ)が藪になって生えている、開拓と定住が難しい土地であった。しかし、そのトウを焼畑のように燃やして、ブルーグラスを蒔くと、これは放牧に最適な土地になることが発見されるとすぐに、白人がわれ先にと移民して定住・放牧を行うようになり、インディアンとの土地争いの勝負はすぐについた。白人の移住の勝利を決定的にしたブルーグラスという植物は、アメリカに自生しているものではなく、ヨーロッパから持ち込まれたものであった。クロスビーが言うところの、「植物の同盟者」である。