必要があって、日本の南進論の本をチェックする。文献は、後藤乾一『昭和期日本とインドネシア』(東京:勁草書房、1986)
大恐慌をきっかけに、第一次世界大戦後の国際政治・経済の秩序に重要な亀裂が生じ、その中で日本の国内状況も対外政策も大きく変化していった。 その変化は1933年の国連脱退で一つの区切りを迎える。日本は「脱欧米」というスローガンを掲げ、アメリカやイギリスらの「持てる国」に対して自らを「持たざる国」として位置づけ、同じ「持たざる国」であって英米の植民地支配にあえぐアジア諸国との連帯を自称していく(笑)。その1930年代初頭から大東亜戦争にいたるまでの、日本のインドネシア進出の背景を描く研究書。軍部によるもの、民間の「南進」論者・アジア主義者たちの活動、そしてインドネシアで当時高まっていた民族独立運動が見た日本の進出も射程に入れた、優れた書物である。この時期を、それまで「ケ」であった南方への関心が「ハレ」に転じた、という面白い表現を使って表現している。
知りたかったのは、海軍の南進論の構図である。海軍にとっては、やはり「石油」という当時の超重要資源が念頭にあった。「石油は、日本の南進政策のアルファでありオメガであった」という言葉もあるそうだ。石油資源を確保しないと、連合艦隊はいっさい機能せず、それを確保するためにはインドネシアという産油地帯を押さえなければならない。また、ロンドン海軍軍縮条約など一連の海軍軍縮を、英米に押し付けられた屈辱と感じていた海軍の不満分子は、1930年代の半ばには主導権を握っていた。中国大陸で華々しく活躍していた陸軍に対する競争意識もあったという。
いま仕上げている論文に、大東亜戦争の開戦までの海軍の南進論の継続的な高まりを背景に、海軍の軍医を含めた医学者たちも日本人が熱帯の気候に適応できるかどうかを研究し始めるということに触れる部分があって、その問題に関するヒントはないかなと期待していたけれども、もちろん、そんなこと、書いてあるわけない(笑)