疾病サーヴェイランスの歴史

必要があって、アメリカの疾病のサーヴェイランスの歴史を論じた書物を読む。文献は、Fairchild, Amy L., Ronald Bayer and James Colgrove, Serching Eyes: Privacy, the State, and Disease Surveillance in America (Berkeley: University of California Press, 2007). 

疾病は常に個人に起きる。感染症だと、そこから他の個人にうつって、共同体を危険にさらす。その時に、どの個人が病気にかかったかを調べて公表する権利が国家にあるのかどうかという古典的なジレンマを扱った書物。この問題の歴史についての最初の大規模な研究書で、歴史・生命倫理学・公衆衛生などの分野で、間違いなくスタンダードな書物になるだろう。研究の視点も、明らかに複数の分野を意識したものになっている。医学史が広く関心を呼ぶための、一つの道を明確に示している。

疾病を報告する義務を定めた法律や慣習というのは、実は意外に古い。アメリカでは植民地時代には既に、宿屋の主人だとか船の船長などに、感染症を報告することが義務付けられていた。また、もともと小さくて社会的に緊密なアメリカの植民者の村では、共同体が、誰が病気なのかという情報を持っていたから、公権力による公衆衛生が個人の疾病についての情報を集める必要があまりなかった。アメリカの工業化の時期の時期である19世紀末から20世紀初頭にかけて、労働の場ではなくなった家庭はプライヴェートな空間になって、同じ共同体の人々の視線から外れていき、個人の病気を診断してその危険を伝えることが医者の仕事になった。この時期の医学は、細菌学という革命的なツールを得て、社会の守り手と健康の改善者として、意気揚々たるオプティミズムの時代に入っており、医者たちは、最新のツールを用いた公益と社会の守り手として、自信を深めていた。

しかし、医者たちは、ヒポクラテスの誓いでも明確に定められている、守秘義務を負っている。すると、現場の臨床医たちと、公衆衛生当局のあいだで、自分が診療した患者の方法を当局に伝えるかどうかということで、軋轢が生じていた。特に、たとえば感染力が非常に強い天然痘などについては、プライヴァシーの問題よりも公益が優先するという合意は作りやすかったが、感染力はさほど強くなく、また強いスティグマがあった結核や梅毒が公衆衛生の課題になり、これらの病気について医者の報告が義務付けられると、医者たちからは、積極的な反対論や、消極的な反対論(報告しない)が現れた。当時の医者たちは、この書物の著者たちが、「パターナリスティックなプライヴァシー」と呼ぶ概念、すなわち、自分の家族に対して振舞ってほしいような仕方で、患者のプライヴァシーに対処せよ、という倫理コードを共有していた。また、この時期に現れていた、人のセックスについて書き立てる扇情的なジャーナリズムがつくりだした「プライヴァシーの危機」は、個人の性病を当局に報告して公的な情報にすることを、医者たちにためらわせていた。