ナポレオン戦争と発疹チフス

必要があって、戦争と疫病についての古典を読む。文献は、Prinzing, Friedrich, Epidemics Resulting from Wars, ed. by Harald Westergaard (Oxford: Clarendon Press, 1916)  ドイツの疫学、医療統計の泰斗が膨大な資料に基づいて書いたこの書物は、1916年に英訳が出版された。その後、ある種のリプリントが出ていて、現在、ペーパーバックで入手できる。味もそっけもない、ある病気がどこどこで流行ってどのくらい死んだということを淡々と書き綴っているだけの本だけど、こういう本は持っていなければならない。

1812年にナポレオンはロシアに侵攻したが、冬の寒さと飢饉と疫病で55万人の軍隊が壊滅的な打撃をこうむった。ロシア遠征の失敗がナポレオンの没落の始まりであるという話は有名である。意外に知られていないのは、ロシアから退却したナポレオンの敗残兵たちが発疹チフスを広めたことである。1813-14年にかけて、ナポレオン軍の退却路にあたる地域で次々に発疹チフスが発生し、それがドイツ全土に広がって大被害が出た。この書物によれば、ドイツ(って、具体的にどこかはよく分からないけれども)の人口2000万人のうち、約一割の200万人が罹患し、そのまた一割強の20万人から30万人が死亡したという。

この数字が推察にすぎないことは、この書物の著者自身が認めている。この書物の基本トーンは、外国の軍隊が我が物顔でドイツ領内を行き来したせいで、ドイツの民間人に巨大な被害が出たことを、膨大な傍証をあげて主張することだから、少しは差し引かなければならないのかもしれない。

ちなみに、三十年戦争のときには、ドイツの人口は半分くらいになったといっている。この、人口激減の原因はもちろん疫病で、戦争の前半(1630年まで)の疫病の主力は発疹チフスであり、1630年以降はペストであった。

もうひとつちなみに、日露戦争について。日本では、日本軍の衛生管理が優れていたことだけが有名である。(私も、やはりそのことを思いだす。)この書物は、もちろんそのことも認めているが、それ以上に、ロシア軍のほうがずっと死者が少なかったことを指摘している。なるほどね。

“every aggregation of people, even in times of peace, ar celebrations and annual fairs, in barracks, and so forth, is necessarily exposed to the danger of pestilence; but this danger is ten times as great in large assemblages of troops during a war.” 2-3