介護と食の文化人類学

オランダの人類学者・哲学者のAnnemarie Mol先生のセミナー用のマテリアルから。

オランダのあるナーシングホームで、ある老人が旺盛な食欲で「バミ・ゴレン」という食べ物を食べていることから話が始まる。かつてのように一律に施設食を与えるのではなく、文化的に特定の食の嗜好を尊重している。これは彼女のふるさとのインドネシア系 (Indish)の食である。1940年代から50年代にかけては、食についての感受性はまったく不在であり、オランダの食に適合することが要求されていた。(米ではなくポテトを。)単一の社会システムへの信頼が崩れた。

しかし、このバミ・ゴレンを、あるグループの人々に特有であると強い結合でとらえることはできない。これは、東南アジア経由でオランダに移民した中国人の家族がはじめた中華レストランや食材のスーパーを経由してオランダ人も身に着けた「レパートリー」である。食文化を、民族などのグループと過度に結びつけないで、獲得することができるレパートリーとして扱うことは、それを「持ち歩ける」ようにすることであり、何かを食べることを強制されない自由を高める。

ナーシングホームで痴呆症の老人に食事を与えることは、ナリッシング・ケアである。そこには多くの種類の善があり、それらの善がうまくいくこともあるが、緊張する場合もある。それらは、違う次元に存在する問題であるからである。たとえば、栄養価と食べる雰囲気という二つの善がある。これが両立して正のスパイラルが生じるのが一番いい。しかし、楽しく食べることができないような人もいる。その時にはサヴァイバルが優先されて栄養価にプライオリティが与えられるけれども、それは常にそうあるべきか。人の尊厳が重要ではないか。

次に選択の問題。人の好みにあわせて選択できることは、現在は重視されている。しかし、ここでは、メインコースが断片化されている。また、まずい食べ物の中から選択できるようにされている。選択は市民社会と資本主義社会の重要な原理であるのに対して、楽しみは個人の生活の質の問題にすぎないから、選択が優先されて、食餌の楽しみが後退している。最後が計測の問題。ケアの質を測ることができるのか。どの規範が尺度になるのか。