人口移動と優生学

古屋芳雄「農村人口の生物学的危機」『医事公論』no.1388(1939), 3.4, 605-606.

昨日も書いたけれども、古屋芳雄は、厚生省の役人として、戦中の国民体力法や人口政策などに大きな影響力を持ち、保健衛生と人口を融合させた国策を実施した、きわめて重要な人物である。(この論文での肩書は金沢医大教授となっている。)

彼が考えていたことでまず重要なことは、文明国家はある種の人口転換を経験するということである。出生率は徐々に低下し、急激に低下する。死亡率は、急に下がり、のちには次第に下がる。その結果、この二つの曲線は交差する時期がくる。ヨーロッパでは、その時期はもう来ている。イギリス、フランス、ドイツ、いずれをとっても、民族生物学的にみて危険きわまりない両曲線の交差点が間近に迫っている。これを、古屋は、「民族消耗症の末期に近い」と呼んでいる。

日本は、これに較べると「景気がいい」。つまり、まだ交差点に達していない。しかし、遅かれ早かれそうなるであろう。それよりもっと恐ろしいのは、逆淘汰である。つまり、上層階級・文化階級は出生が少なく、生活力の少ない階級は子供が多い。これを、彼は、銀行員と女子大学の卒業生を例にとって調べてみたのである。農民は子供を4人産むのに15年の夫婦同棲生活で住んでいるが、女子大卒では3.2人、銀行員では2.9人しか生まれない。そして、このインテリ階級の出生減少によって生じる空隙が、農村から都市への移民によって埋められるという。

短い論文だから、詳しい部分が省略されていてよくわからないが、古屋はここでとても重要なことを考えている。インテリと労働者の出生率の違いを、優生学と組み合わせて問題化することは、イギリスの例にもあるように、一般的なことであった。古屋は、この問題を人口移動のダイナミズムの文脈にかさねあわせて考えている。彼がいう「人口の貯水池としての農村」の考え方は、本当に「貯水地」のイメージがあって、そこから都市人口の(ある種の)欠損が補われるためのものだった。だから、農村生まれの農村児童、農村生まれの都市児童、都市生まれの都市児童の三者の体力測定をすることの意味があったんだ。

優生学は、20世紀の初頭に各国に広まって、それぞれの国の社会の状況などに応じて異なった形をとった。イギリスの階級的な関心を中核にした優生学や、ドイツの民族・人種の問題を中核にした優生学(これについては異論もあるだろう)など、それぞれターゲットとなった対象が違い、それによって優生学的プログラムの形も変わってきた。日本の優生学には、「都市と農村の間の人口移動」という、これまであまり注目されていなかった柱があると論じることはできないだろうか。