中島敦「山月記」は、1942年に出版された短編小説で、高校の国語の教材に採用されていることもあり、もっとも有名で人気がある短編小説の一つである。中国の古典に素材をとり、虎に変身してしまった人物が友人に語る物語を通じて、文学を志す若者が、不朽の名作を残す野心と失敗を恐れる不安の板挟みになった自分の人生を悔いる語りである。そこでは、一つの存在に二つの人格が併存し、両者が交互に現れる二重人格の設定がとられている。二重人格の片方は以前の人格であり、もう片方は虎のそれである。人間の人格の時には複雑な思考もできるし、以前に記憶した古典の章句をそらんじることもできる。しかし、人間の人格が消失して虎の人格となるときには、兎を追って捉えて食べ、人を襲って殺すことすらある。虎となったときには、かつての同類である人間を襲うことを止められず、あとで人間の人格が現れて自分が犯したことを知ると、慚愧の念に襲われる。
二重人格者が犯罪を犯すという設定を中島が学んだ直接の起源は、おそらくロバート・ルイス・スティーヴンソンの『ジキル博士とハイド氏』(1886)であろう。中島は、スティーヴンソンが結核の転地療法のために滞在して人生の最期を過ごしたサモアにおいて綴った日記の形式で、「光と風と夢」(1942)という小説を書いており、『ジキル博士とハイド氏』を知らなかったわけがない。1935年には岩波文庫から翻訳も出ている。さらに、『ジキル博士とハイド氏』をもとにした映画で、フレドリック・マーチの主演によるものが、1931年にアメリカで製作され、1932年には東京で上演されている。
しかし、中島の「山月記」は、単に外国文学上の作品や映画に着想を得たということにとどまらない、精神病と精神医学の社会史としてのひろがりも持っている。二重人格や記憶の喪失という現象は、学問や臨床としての精神医学の範囲を超えて、一般書、新聞、雑誌などの大衆メディアを通じて、当時の人々が知るところとなり、人々は、この人間心理の未知の世界の不思議に魅了された。司法精神医学は、二重人格や記憶喪失を含む犯罪者の心理を、学問的な場だけでなく、一般向けにも発信していた。人間の心が異常な形を取り、それに基づいて異様な行動が取られることは、日本でも西欧でも20世紀の社会の中心的な関心の一つであるが、中島の「山月記」は、この関心を素材の一つとして取り込んだ現代の古典なのである。