「精神病疑似症とは何ぞ」

「精神病疑似症とは何そ」『医海時報』no.1185(1917), 1917/3/10, 7.
保健衛生調査会の精神病部門の活動についての興味深い批判。著者はだれか分からない匿名の論文である。この論文が書かれた直接の経緯はこのようなものである。1917年3月3日、内務省衛生技術館会議席上において、保健衛生調査委員三宅鉱一が答弁したが、その折に、精神病者調査を行うときに、「疑似症」というカテゴリーを提出して、これが議論の対象になった。学術上の見地からみて、精神病に「疑似症」なり「中間者」なりと呼ぶことができるものが厳密に確定されているのかという問題も重要だが、より重要なのは、精神病疑似症を確定する作業を末端において実行するさいの不備である。衛生技術官会議においても、学術上、疑似症はあるのか、もしあるとしたらその根拠は、と尋ねられて、説明者[おそらく三宅その人だろう]は答弁に窮したという。それはある意味で良心的な応対であって、それはそれでいい。しかし、この論文は、疑似症の発見と確定の作業は、その末端においては、巡査が行うという事実を取り上げて、これを問題化する。あいまいで際限もなく拡大できる「中間者」「疑似症」が、巡査によって決められるのはいかがなものか。巡査が私情に基づいて無告の罪に人民を陥れるのは珍しいことではないし、酒癖が悪いもの、挙動不審だとみなされているものを、すべて疑似症にしてしまうかもしれない。「信用を損ないやすい危険性を帯びる項目をもって調査事項に加えるのを不当とする」とこの論文は主張する。

この中間者の概念が現れた一つの要因は、日本の精神病統計が、欧米のそれと比べて奇妙な数値を示すからである。本邦内地人口が4000万とすると、そこに3万6000の精神病患者しかいないという統計的に不思議な事実は、たしかにおかしい。調査の基準を変えて、予想された数にしなければならないという意識があった。これには同意する。しかし、巡査を手先に使って「人権の消長を度外視した」方法はいけない。これは、近代においてはもちろん、中世においても、精神病というその境界線があいまいな病気にほぼ必ず随伴する議論の一方である。

むしろ、ここに添えられたもう一つの議論が面白い。隠匿者を摘発するほうがよくはないか、上流階級は精神病患者を隠匿しているから、という。私は、実際に、この隠匿がかなりの頻度であったと思う。そして、その隠匿の場所は、皮肉なことに、精神病院だったのではないかと考えている。特に私立の精神病院は、その大半をしめる治療の機能と並行させて、隠匿の機能も果たしていた。