1887年の安楽死論

Munk, William, Euthanasia: or Medical Treatment in Aid of an Easy Death (London: Longman, Green & Co., 1887)
必要があって、ウィリアム・マンクの『安楽死』(1887)をチェックする。ウェッブ上の Google books でそのまま読むことができる。たしか、安楽死(euthanasia)という言葉をタイトルに使った初めての英語の書物だと記憶している。ちなみに、William Munk は、王立医師協会の会員の伝記を集めた Munk’s Roll の著者で、古いDNBには、おそらく何百点人もの伝記の項目を書いていた人物である。

他の国でも同じだと思うけれども、イギリスにも、末期の患者を楽に死なせるスキルが洗練されていた優れた医者が多かった。マンクにとっての「安楽死の達人」は、王立医師協会の会長で、ロンドンの富裕層の間でもてはやされ、「紳士としての医者」の伝統を築いたヘンリ・ホランド卿である。(彼は、精神医療の名手でもあった。)このホランドやフェライア、フーフェランドなどに基づいて、命が助かる見込みがなく、死が痛みと精神的な苦しみや情動の不安を伴う時、患者の死を早めることなく、それをより安楽なものにする技法と心得をまとめた書物である。特に第三部が、安楽死のために医者が何をできるかをまとめている。

安楽死に用いる薬としては基本的に三つ。アルコール、アヘン、エーテルである。安楽死に使う薬は少ないほどよく、この三つで足りるというのが、マンクの言い分である。鎮静などのアルコールについては、ヴィクトリア朝のイギリス紳士がアルコールを語ってしまうわけだから、シェリー酒が一番いいけれども、ポート、マデイラ、トカイもいいとか、シャンパンはファンが多いけれども、その効き目は薄いとか、お酒グルメ評論が入ってくる。この日常生活との連続が19世紀の医療のキモの一つである。渇きをいやすものについても、口に氷を含むことに加えて、レモネードや、ミルク抜きでレモンを浮かべた紅茶などが並べられているのも、同じ理屈である。

エーテルは、アンモニアなどとならび、呼吸困難に対処するのに用いられている。

最も信頼されているのがアヘンである。ガンや「胸の水腫」(ってなんだろう?)のような死のマネジメントは、アヘンなしではどうにもならない。アヘンは、死のための勇気とエネルギーを与える。魂を、天の領域に旅立たせる準備をするのである。これは、痛みを和らげる効果があるだけではなくて、心を鎮める効果がある。苦痛と絶望に心がかき乱されているときに、アヘンを与えると、顔の表情が和らいで、安静をとりもどす。これによって、死期が早まることはなく、死がより安楽なものになる。「死期を早めることがない」というフレーズは何度か繰り返されるが、これは、事実かもしれないし、医者と患者と家族が共謀して信じたいフィクションかもしれない。どちらなのだろう。