香西豊子「近世後期における<伝染病>学説―「市川橋本伯寿著断毒論一件」の分析を通じて」『日本医史学雑誌』55(2009)、 499-508.
必要があって、『断毒論』の考察を読む。
橋本伯寿は甲斐の国の医者で、1810年に『断毒論』を出版した。そのテキストは、痘瘡や麻疹などが、人から人に感染するということを唱えたテキストとして名高い。そのテキストの出版にまつわる障害を考察した論文である。この著者は、すぐれた才能と着眼力にめぐまれた研究者であるが、この論文の構成は、「謎解き」型になってしまっていて、せっかくの着眼を発展させる構成になっていないと思う。その欠点にもかかわらず、すぐれた着眼の問題設定であることは間違いない。
伯寿の所説では、痘療や麻疹の毒気は、人から人へと「伝染するその理論的前提にもとづけば、導きだされる予防法は、当該の病にまだ罹患していない者を、領内に毒気が伝染してくる前から一定期間べつの場所に避難させ、伝染の回路を断つことで病の流行を防ぐ「避痘」ということになるとはいえ、個々の身体への処方ではなく、身体の間の紐帯や集合的に身体の処し方を論じるというのは、当時、 もっばら政治の領分に属していた。それゆえ、伯寿は自らの「伝染病」学説に忠実であろうとすればするほど、学問や医療の領分をこえ、政治の領分に立ち入ることになったのである.
この幕府の側の言い条が示唆するのは、当時の体制は、身体を処するのに医学・医療という回路をもちいなかったとぃうことである体制による身体への差配は、医学や医療を介しない、 より直接的なものだった医学・医療が政治の領分と交錯することは、むしろ周到に回避されていたのである。―『断毒論』の版木をめぐる「事件」に見られたように、突出した事例が、おなじ医学、医療の内部で牽制されるか、ポンペの進言の顛末のように、政治の領分から拒絶されるかして。