高林陽展「精神衛生思想の構築」

高林陽展「精神衛生思想の構築―20世紀初頭イングランドにおける早期治療言説と専門家利害―」『史学雑誌』120(2011), no.4, 461-495.
必要があって、高林陽展の論文を読み直す。
19世紀末から20世紀前半にかけてのイギリスでは、精神病患者が受ける「スティグマ」を取り除かなければならないという議論がされ、この議論の一つの主体は精神科医たちであった。これを、称揚するべき人道主義的な思想の発露であると表面的に取るのではなく、精神科医たちは、なぜこの時期にスティグマ言説を組み立てたのかということを問う、すぐれた論文である。

その答えは、「早期治療言説」と高林が呼ぶものにある。これは、1890年の法律が精神医療に課した法的な監督制度に対する批判であった。1890年法は、精神病者という名目のもとの不法監禁を大きく問題化し、それが防止されるような制度を設計することを重要な目標としており、すべての精神病院の入院に、治安判事の法的な証明書が必要な仕組みであった。これは、精神科医たちにとって窮屈な制度であり、それ以上に、入院についての医療専門職の権威に抵触する制度であるとみなされた。精神科医たちがこの制度を批判するとき、法的な証明書の発行は精神病は他の病気とは違う特別な病気であるという観念を人々に持たせる。これが「スティグマ」である。この議論は、同時代に救貧法が批判されるときに、「ワークハウス・テスト」が貧困に対するスティグマを高めるという批判と共鳴し合っている。この、同時代の言語を使って、1890年法は精神病に対するスティグマを高めるものとして、精神科医たちは批判する。

もう一つ用いられた同時代の言語が、国家・国民の効率という優生学・精神衛生の言語であり、その中で作られたのが「早期治療」である。スティグマをなくし、法の監督を緩めて、精神病の徴候が現れたらすぐに自由に受診できるようにすれば、精神病はすぐに治療されて国民の精神能力も高まる。これは、悪いものを減らす消極的な優生学ではなくて、良いものを増やす積極的な優生学の言語を組み込んで、戦間期の社会の強力な言説となる。

最も重要なことは、この、人道主義と公衆衛生・優生学の言語で編み上げた早期治療の言説の社会的背景である。これは、精神科医たちが一般医のように開業して利潤を得る可能性を開く、サーヴィス産業としての医学の関心の中で形作られた。この病気からスティグマを取り除き、人々の精神を健康にしつつ、精神医療を市場経済の中で利益を上げられるようにすることが、基本的な戦略であった。