ツヴァイク『マゼラン』

ツヴァイク『マゼラン』
ツヴァイクの歴史小説の中で、私が一番最初に触れたのは、小学校3年生くらいに読んだ、子供向けにリライトされたマゼランだと思う。「学研」から出ていた少年少女のための伝記シリーズに入っていた。副題は「暗黒の海に挑む」だった。同じシリーズの「風あらきトロイア」と「メンロパークの魔術師」とともに熱烈に愛読した。ちなみに、「微生物の狩人」という副題でパストゥールの伝記もあったが、それはまったく読まなかったと思う。

みすず書房から出ているツヴァイクの全集をいただいて、まず『マゼラン』を読んだ。大人向けの原作だから、もちろん情報は細かいけれども、子供の時の印象と、それほど変わらなかった。無口で、タフで、冷静で、いざという時の果断な行動力。

私が憶えていないのか、子供向けのリライトでは削られていたのか、マゼラン海峡を発見するという、一作のハイライトである一番重要な部分の構成が大きく違っていた。マゼランはもともとポルトガル人だったが、王の扱いが不満で、結局はスペインのために航海をすることになった。アフリカの南端を回って香料諸島に到達する航路は、ポルトガルによって独占されていたので、それと逆の西回りで、アメリカを廻航して太平洋をわたる航路を発見することは、スペインにとって、東洋の富にアクセスする手段を得る重要な企画であった。そこで問題になったのが、アメリカ大陸が、人々が予想されていたよりもずっと広大で、それを廻航して太平洋に向かう航路がまだ発見されていなかったことである。マゼランは、自分はその秘密の航路を知っているとスペイン王に進言し、その結果、スペイン王の出資と援助のもと、大艦隊を率いて世界一周の航海をすることになったのである。ある意味で祖国を裏切って敵国のために働いている者であり、両国から疑いの目で見られていたことはもちろんである。特に問題となったのが、旗艦「トリニダード号」をはじめとする5隻の船から艦隊で圧倒的多数を占めていたスペイン士官たちであった。

マゼランが切り札として使った、彼だけが知っているというアメリカを廻航する航路は、実は現在のラプラタ川の河口のことであった。その河口は広大であり、現在の地図上でモンテヴィデオにあたりは、大陸の岬のように見えるし、これを回ると、実際はラプラタ川を遡っているだけだが、まるで太平洋に出たかのような錯覚に陥るのは確かである。マゼランは、この情報通りにラプラタ川の河口を大陸の果てであると思い、喜び勇んでそこを廻ったが、水はどんどん淡水になり、潮の潮汐がなくなるなど、広大な川であることが明らかになった。1520年の1月のことである。これは、単なる失敗ではなく、マゼランにとってすべてが崩壊することを意味した。自分の見込みの誤りであったというと、スペインの士官たちは絶対に許さないだろう。それまでの航海で、マゼラン自身、スペインの士官たちを厳しく取り扱ってきたしっぺ返しが待っているのは間違いない。マゼランにただ一つ残された道は、自分の過ちを認めることなく、どこにあるのかはもちろん、存在するかどうかわかっていない航路をもとめて、ひたすら前に突き進み続けることであった。気候はどんどん悪くなり、陸地は極地の風景になっていき、人食い人種すら住んでいない荒涼としたものになっていった。それでも、マゼランは、自分の過ちを認めずに、人跡果てた土地を頑固に前進し続け、結局は太平洋に抜ける航路を発見したのである。

「自分の過ちを認めないで、著しく不確かなものに頑固に固執すること」は、確かに、子供向けの伝記に書きやすいことではないだろうな。