ピンク・フロイド Brain Damage の分析

Winthrop-Young, Geoffrey, “Implosion and Intoxication: Kittler, a German Classic, and Pink Floyd”, Theory, Culture & Society, 2006, 23: 75-91.
昭和戦前期の精神病患者の症例誌を読むと、ラジオや電波などの妄想を語る患者や、それらの技術への不安が盛り込まれたものが多い。「理学的妄想」という言葉もあったほどである。いま進めている研究では、これらのメディア技術と精神病・精神医療の世界についての分析を盛り込もうとしている。

Pink Floyd のアルバム Dark Side of the Moon (1973) に、Brain Damage という曲があり、キットラーはこの曲について優れた分析を行っている。この曲は、若者の怒り、疎外、内に住む真の人間に対応できないことを描くものとして捉えられてきたが、キットラーは分析の方向を内から外に向けるかのように、規則と技術的な水準を論じて、この曲を「テクノ・アコースティックな」イヴェントとして捉える。最初のスタンザでは「狂人たちは芝生の上にいる」とうたわれ、ここでは歌と聴取者の間に空間はなく、モノラルな関係になっている。次のスタンザでは「狂人たちはホールに入る」とうたわれ、そこでは Hi-Fi とステレオになる。最後には、「狂人たちは私の頭に入る」となる。これは、ピンク・フロイドが初めてステージで用いたAzimuth Coordinator という技術となる。ここでは全角度から来て聴取者に侵入するもので、この技術を用いると、聴取者は、ステージの上で起きていることが自分の頭の中で起きていることと一体化し、脳内の変化が、外から来るものと同じになる。ここでは、幻覚が現実になるかのようになっている。 There is someone in my head but it’s not me と言われているように、批判的・反省的な距離を保つことができないまま、自分でないものが頭の中で語っているという状況になる。これこそが、talking machine や ヴェントリロクイになる精神病の症状である。「十分に発達したメディア・テクノロジーは狂気と区別がつかない」というわけである。

魅力がある分析だと思う。まずは、研究費の残りで、ピンク・フロイドのアルバムを買うことから始めないと。