ジェラルド・アスター『最後のナチ メンゲレ』広瀬順弘訳(東京:読売新聞社、1987)
医師・医学者でアウシュヴィッツの「死の天使」として悪名高いヨーゼフ・メンゲレの一般向けの評伝を読む。アウシュヴィッツの強制収容所に収容された生存者の手記などが中心で、メンゲレ自身の行為や、強制収容所一般のおぞましい残酷な様子が延々と書き記された部分があり、その部分は読んでいて胸が悪くなり、身体が冷えていくような思いになる。
メンゲレはバイエルンのギュンツブルク出身、父親は機械工場の経営者として成功した人物である。ヨーゼフは長男で、ミュンヘン大学の医学部時代から保守的・反ユダヤ的な政治活動をしていた。その後、フランクフルトで遺伝優生学研究所のフォン・フェルシュアー教授のもとで優生学を学び、この出会いがのちのメンゲレのアウシュヴィッツでの活動のきっかけとなり支えとなった。1937年にナチ入党、1938年にSSに参加して武装SSに入隊して第二次世界大戦に参戦するが、負傷して戦線から引退し、収容所の医師となる。アウシュヴィッツで「死の天使」と言われたのは、列車で送られたユダヤ人らを、即座にガス室で殺すグループと、強制労働に用いるグループの二つに分ける場面で、その仕事をワーグナーを口ずさみながら優雅にスタイリッシュに行って楽しんでいたからだと言われている。もう一つ医学史的に重要なのは、フォン・フェルシュアーの教唆のもと、アウシュヴィッツに送り込まれた双生児の研究や、小人症などの障害などの事例と実験データの収集に携わっていたからである。その方法は、学者風の厳密さというより、愚かな蒐集魔的なものだったという。これは彼の助手や被収容者などの証言と印象であるが、これは、何が違うとこのような印象の差を作り出すのだろうか。