Matsunaga Ei, “Birth Control Policy in Japan: A Review from Eugenic Standpoint”, Japanese Journal of Human Genetics, vol.13, no.3; 189-200, 1968.
1955年から1967年の優生保護法の適用例のデータを使って、戦後日本にとっての優生学の意義を探るとてもいいペーパー。1968年にジュネーヴで行われたWHOの遺伝カウンセリングの委員会のワーキングペーパーに基づいている。日本が世界に向かって自国の優生学的な立法の成果を発表したものと考えてよいであろう。不妊手術、中絶、優生保護相談委員会(正式な日本語の名称はチェックしていない)を分析している。
まずは中絶について。1955年から67年まで、約1300万件の中絶があった。1955年に最も多くて117万件、漸減して1967年には約74万件になっている。そのうち「母体の健康」のために行われたものが圧倒的に多く、全体の99.66%である。遺伝病を理由としたものが、本人が4,599件、配偶者や親族が9,802件、ハンセン病が2,354件、「暴力」とあるのはたぶん強姦で、これが4,003件、不明が23,097件。ただ、この99.66%という圧倒的な数字は、多少は割り引いて考える必要があり、そこには遺伝病を理由とするものも入っているだろうとのこと。わざわざ遺伝病を他人様に告げて中絶する必要はないからである。
不妊手術は、同じ期間に43万件行われており、これも母体の健康が圧倒的で96.70%。voluntary な不妊手術が約3,300件、non-voluntary なものが約10,300件、ハンセンが600件である。Non-voluntary なものでも、それが争われて委員会に提出された事例はごく少ない。また、これが気になるところだけれども、不妊手術が行われたのは圧倒的に女性が多く、全体の97%である。外科手術において男性より女性のほうが簡単だったのか、それとも産婦人科医が手術を行うことが多かったから女性の手術のほうに慣れているのかという技術的な理由も考えられるが、常識的に考えて、ここには、男性の生殖能力は保持されるべきであり、必要があれば不可逆的に失われてもよいのは女性の生殖能力であるという、鮮明な文化的社会的なジェンダー・バイアスが働いているのだろう。なぜ男性の生殖能力が守られるべきだったのかということは、今の私には分からないが、松原洋子先生などがご存知だと思う。行われた年齢はばらついているが、中間値は男女とも30歳近辺である。
不妊手術は分裂病、躁鬱病、真正てんかん、精神薄弱、反社会的行動(犯罪と変態性欲)、その他の遺伝病、遺伝性の奇形に対して行われた。かなりの部分が精神疾患と精神薄弱である。ここからが重要な部分で、筆者はよく道筋が分からない計算をして、日本で精神疾患・精神薄弱の理由で優生学的な不妊化が必要なものは、145,000人いると推定する。これは推定値だが、しかし、実際に不妊手術が行われてきた数値に較べると、はるかに多いことは確実である。たしかに日本人は任意の優生学的不妊手術をしてきたが、non-V の避妊手術はごくわずかしかしてこない。「言葉を換えると、日本人は、優生保護法を優生学の目的で利用した程度がごく限られていた」ということになる。あるいは「この国には、優生運動はかつて存在したことはないし、本人や家族の合意がない場合には、non-Vの優生不妊手術は不可能である」と結論する。
私は専門家ではないから、この論文の主張がどの程度正しいかは分からない。しかし、1960年代の末の段階で、優生保護法の利用を考えてみたときに、それは本来の目的である優生学の目標では使われていない、それは優生運動がなく、本来不妊が必要な人口にも適用されていないと考えていたことは強調に値する。