石原純『恋愛の史的考察』性科学全集第10篇(東京:武侠社、1931)
阿部定が愛人の男性を絞殺して性器を切り取る事件が1936年の5月に起きた。英語の書物では、William Johnston 先生の最近の著作 Geisha, Harlot, Strangler, Star: A Woman, Sex, and Morality in Modern Japan (Columbia University Press, 2012)が優れている。日本語の資料の中で便利なのが、前坂俊之編『阿部定手記』(中公文庫、1998)であり、日本のマスコミがまさに狂奔状態にあったこと、評論家、医学者、精神医学者、文学者たちが、まるで総動員がかかったように評論を放っている。阿部定への注目は1936年にとどまらず、その後も映画を中心に継続していくことを考えると、日本の精神医学における「もっともセレブな症例」は阿部定ではないかという気すらしてくる。西洋ではそれはシュレーバーになるだろうが、その違いが西欧の精神医学と日本の精神医学の風景の違いになるのかもしれない。そんないい加減な話はここではどうでもいい。
前坂編の『阿部定手記』に、『婦人公論』が1936年の7月号で特集した記事があり、その中に石原純(いしはら あつし)という物理学者で科学評論家が記事を書いていた。なぜ物理学系の評論家が阿部定の記事を、と不思議に思って調べたら、石原は東北大学の助教授だったが、アララギ系の歌人である原阿佐緒と恋愛事件を起こし、それが大問題となって大学を辞任して原と同棲することを選んだとのこと。恋愛で著名になった人物という側面もあった。ときあたかも世では恋愛論が真剣な話題として大流行しており、石原はその関連でもいくつかの著作がある。
その中の『恋愛の史的考察』(1931)が国会図書館でデジタル化されていたので目を通してみた。正直いって、この水準のものが活字になるのかという驚きがあった。石原のこの著作はかなりひどい。物理学のコミュニケーションの仕事はきっとこれよりもずっといいものだとは思うが、これを活字にするのはかなりの勇気が必要である。もともと著作ではなく、途中で投げ出された感がある文献資料集であり、解説もろくについていない。恋愛に関して、日本の中世の文献と、明治初期の新聞から、面白いものを切り出している。明治期になると変態性欲の収集になって、それがそのまま並んでいる。帝大の教員から「物書き」に転身して成功した人物というと、やはり夏目漱石が思い出されるし、私の個人的な意見では、舛添要一先生も東大を辞めて政治家になって、政治にとっても東大にとっても本当によかった成功例だと思っている。もちろん全体を見なければならないが、恋愛について書く石原純は、成功例ではない。
しかし、その文献の資料集の中には、面白い記事もあることも事実である。何かの折に使えるから、PDFで残しておいた。一つ、数日前の榎乳房との関連でメモ。東京の千駄ヶ谷に榎坂という坂があり、そこに榎の巨木が生えていた。その樹の樹木の瘤が女性器に似ており、家光公の愛妾のおまんの方が篤く信仰したため、「おまん榎」と呼ばれて、婦人病を治療したり生殖出産のご利益があるとして近代に至っても信仰された。女性器の俗称に「おまんこ」という言い方があるが、それと関係あるのだろうか。それから、しばらく前まで榎坂には中東のオマーン国の大使館があり、おまん榎と名でつながっていた妙な縁があったのかと思う。